環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

忠孝岩

竹原市田ノ浦一丁目、国道185号の東に鳥居が見える。
礒宮の麓に天満宮があり、それを囲む苑池。
際立って大きな岩に「忠孝」の二字が刻まれている。のが見える、ような見えないような。
いや、あんまり見えすぎてもくどいでしょうか。


県史跡 礒宮(忠孝岩)
昭和十二年五月二十八日指定
 礒宮は、建久五年(一一九四)後藤実元が豊前国宇佐宮から鳳伏山に勧請、磯辺にあったので礒宮と称し、実元の代々の守護神として崇敬されていた(礒宮縁起)。その後荒廃し万治元年(一六五八)唐崎正信が現在地に遷宮し再興した。
 五代、唐崎常陸介は、境内の千引岩に、山崎闇斎からもらった宋の文天祥筆の「忠孝」の二大文字を刻した。(明和三年頃 一七六六)

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千畳閣で見られる「忠孝」は春水頼惟完の筆。「忠孝」の意味合いは違うかもしれませんが。