環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

芸備鉄道

三次と広島を鉄道で結ぶとなると(明治の話)、昔からの街道「出雲街道*1」に沿って通せば主要な町を経由できてよろしい。のではあるが、途中の「上根峠*2」があまりにも難所なので、東にずらして「三田街道*3」を通ることに。
そういう路線になる予定ということから、明治45年4月、吉田町に「芸備鉄道線路変更期成同盟会」がつくられた。
迂回して吉田町を通る経路

  • (井原村*4-志屋村古屋*5-郷野村入江*6-吉田町-小田村*7 )

に変更してほしいと要求。(線で結ぶとこういう地図に。)
線路用地は安く提供するし停車場の土地は寄附すると条件を出す。
そして実地踏査をしたところ、志屋村と郷野村の間の「横山峠」を通るにはトンネルにしなければならないということで、線路変更はならなかった。
そのかわり、小田村内の二つの駅名は、近隣の線路の通らない町村名をつけ「吉田口」「甲立」となった。

参考

高田郡史 下巻』高田郡町村会 1974

*1:今の国道54号のへん

*2:広島市安芸高田市の境

*3:三篠川の筋

*4:現「井原市駅」安佐北区白木町

*5:安佐北区白木町

*6:安芸高田市吉田町

*7:現「吉田口駅」安芸高田市甲田町