環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

復元整備の工夫

昭和52年に県の史跡、57年に国の史跡になったりしつつも、見学道の老朽化が進み、地滑りや地割れ・松の立枯れなどによって遺構の損壊が目立つようになったことから、昭和60年3月に史跡三ツ城古墳保存整備基本計画を策定。隣接する史跡指定地外の公園化もあわせて設計された。
基本計画が5つ。途中細部の変更がありつつ、平成6年4月13日にオープンした。十数年後、下の写真のような姿になっている、という具合。

  1. 古墳の実物大復元:「持ち上げ復元」なので下の墳丘より少し大きくなる、けれども墳丘周りの地形もかさ上げしているので極端に変わらない。1号墳の2・3段目には葺石を版築土で固定。1段目と2・3号墳は芝張り。主軸線上に階段を設けて強制導線とする。階段が元々の遺構ではないことを強調するために「いかにも現代的な花崗岩の白御影石」を使用。
  2. 埋葬遺構の露出展示:はじめは、石棺を埋めて保存してその上に似た石材でレプリカを設置する予定だったところを、強化ガラスの覆屋によって直接見られるように変更された。本来の石棺の位置とは違ってしまうので、地面の色を変えて遺構の位置を明示している。
  3. ガイダンス施設の設置:公園と同時にオープンした中央図書館内に設置。少し距離が出来てしまうのでスロープで両施設をつなぐ。
  4. 周辺地形模型の作成:激変した周辺地形を視覚的に伝える教材。柵を設けてあるが、人が乗っても壊れない強度で作成。
  5. 広場・園地等の整備:元々あった池はコンクリート護岸で囲まれ、公園内の人工物は極力減らしはしても、史跡に隣接する景観としては好ましくないということで、目隠しのように修景(植栽)工事が行われた。現在の、園内の木々が繁茂した状態から見ると、いかにもか細い並木ではあるけれど、新旧の人工物相互の調和を図る工夫が見て取れる。




参考

東広島市教育委員会『史跡三ツ城古墳整備事業報告書』1994