環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「甦る広島の遺跡」2 備後南部

芦田川流域の古墳」と題して二つの古墳が代表として挙げられていて、福山市加茂町の「尾ノ上古墳」は古墳時代前期、福山市駅家町の「二子塚古墳」は後期。どちらも大型の前方後円墳
また、「埴輪」の紹介には「千田*1平ノ前*2古墳」が採り上げられていて、これは後期の円墳*3で、同じく埴輪の出土した尾ノ上古墳と対比される。


二子塚古墳はJR福塩線近田の北の丘陵上にある。
http://chizuz.com/map/map45527.html
南麓には古代山陽道芦田川。近田駅そばの最明寺跡南遺跡*4から出土した瓦によって、このあたりが「品治駅」に比定される。中世に営まれていたという「岩崎宿」が駅家とつながるものかどうかはともかく、街道の中継点になりやすい立地であるらしい。
展示されていた「双龍環頭柄頭」は、まず「つかがしら」についてはこっちwikipedia:柄頭。飾りが「双龍*5」か「単龍」かで分布が違っていて、瀬戸内海側には「単龍」が集中し、山陰地方には「双龍」が多く、安芸国にはどちらも分布しない。
前方部と後方部にそれぞれ横穴式石室があり、円墳と方墳をくっつけて成形。南北朝期以前に石棺の側石が取り出されたようで*6

その記事にあるように、二子塚の北東の最明寺にある板碑に姿を変えた。『備陽六郡志』にも紹介されていて*7、「高六尺、横二尺五寸」というのが、復元した石棺の数値とほぼ一致するという。
記事中の「古墳ロード」は、「福山古墳ロードを歩こう」やはてなキーワードkeyword:古墳ロードなどが詳しい。道筋の表示が充実しているらしい。

参考

福山市教育委員会広島県史跡二子塚古墳発掘調査報告書』2007
福山市教育委員会『千田平ノ前古墳-宅地造成工事に伴う発掘調査報告書-』2004
福山市教育委員会『最明寺跡南遺跡-一般県道下御領新市線道路改修事業に伴う発掘調査報告書-』2002

*1:せんだ

*2:ひらのまえ

*3:調査時には周溝のみ

*4:県道工事のため

*5:鳳の形も

*6:それだけではないにしても

*7:報告書の孫引きだが