環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

聖蹟っぽく

「中国痴呆建設局」さんの
サンダル履きでポタった可部・太田川 広島市安佐北区
でも触れられているように、この船山と東に流れる帆待川神武天皇にまつわる地名として語られる。帆待川沿いに説明板もある。


船山では、稲荷神社の参道を登ってすぐのところに昭和15年建立の石碑があり、
「此丘神武帝御東征之砌繋於船」云々とある。
藝藩通志』は採録していない。『国郡志御用につき下調べ書出帳』の「大毛寺村」の中にも記述はないが、「下四日市村」の「徳行寺境内 惣社大明神」の項目*1に、
惣社

    • 神武天皇ご逗留の跡であること、
    • その跡に建っているのでかつて大社であったこと、
    • 安芸武田氏の庇護を受けていたこと

が記され、関連地名配置図*2を載せて「〆」とし、それに続けて

のだと記し、また「〆」、それに関連する周囲の地名として

    • 太田川を可愛川と称すこと
    • 大毛寺村西へ抜けた奥の「エ坂*4」なる地名も「右社ニ依ル名ノ由申伝候」

とする。「〆」のあと、さらに続けて

    • 帆待川 船山 往古当処迄入海ノ節ノ名ノ由申伝ニ御座候」

と記したところで惣社大明神の記述を終えている。

*1:惣社とその周辺参照

*2:惣社とその周辺 2

*3:旧郡名の棲み分け参照

*4:「恵坂」とも。埃宮に附会