環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

狐瓜木神社由緒書

太田川に面した丘陵の先端は、多分、風が吹く丘。


麓にある由緒書きは日に焼けて一部読めない。

狐瓜木神社由緒
祭神
本殿 八幡神
相殿 志那
 本社は志那都彦神事代主神を勧請し
たのは貞観二年(紀元八六〇年)〜
くにつれ上古、此の一帯の〜
ったっことが実証されると〜
縁の深いことがわかる。事代主神は大国
主神の御子で恵比須大神〜
村農村商家に多く祀られている。
 八幡神三柱の神の勧請は永〜
元九八四年)で当時大神の御稜威に〜
大陸から文化の移入が盛んで〜
文化神として全国的に崇敬されている
文永十一年(紀元一二七四年)武田信
時が安芸国守護職に封ぜられ狐瓜木神
社を佐東郡惣社とされた。その後、大
内義隆、毛利元就の領主は、〜
田を寄進されている。浅野〜
願社として祭祀料や神〜
と深い縁故があった。
 延享四年一月(紀元一七四七年)〜
回禄し宝物類を多く焼失〜
殿拝殿は文化二年(紀元一八〇五年)〜
改築され神殿は大正元年
である
 大正二年十月〜
〇五三年相当)が盛大に〜


これで大体わからなくもないけれど、『廣島縣神社誌』にあたるとこうなる。

貞観2年*1 風伯・事代主神を宮野山に勧請
永観2年*2 八幡神三柱を勧請、再建
文永11年*3 武田信時が佐東郡惣社とする
大永5年*4 三建
天文11年*5 大内義隆神料田寄進状」*6
天文21年*7 毛利元就神田寄進状」
延享4年*8 社殿回禄*9
文化2年*10 四建
大正元年*11 本殿改築
大正2年*12 創建千年祭挙行

千年祭をおこなった大正2年は、貞観2年から1053年後にあたる、ということを由緒書の末尾に言っている。
何か祀られるようになってからが「宮野山」なのだろうけど。

*1:860年

*2:984年

*3:1274年

*4:1525年

*5:1542年

*6:芸藩通志』に「天文十一年壬寅、大内義隆より、神田寄附状あり、状に佐東郡とあるは誤なり」とある。

*7:1552年

*8:1747年

*9:「回禄」火災に遭うこと

*10:1805年

*11:1912年

*12:1913年