環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

千足(せんぞく)

位置

戸坂千足一丁目は安芸大橋を境に下流、二丁目は上流にあたる。そのうちの一丁目の川沿いの一部が小字名「千足」で、安芸大橋が架かる前は、対岸の東原への渡し舟があった所。
由来としては

天文一〇年毛利元就が銀山城(跡地は現安佐南区)の武田氏を攻めた際、太田川に流した火の付いた草鞋で武田軍を欺いて城を落としたと伝え、千足はこの草鞋が千足も渦を巻いた所という。史実とは認められないが、この地が銀山城の正面にあたり、しかも街道の渡河地であるところから、軍事的にも重要な地であったことを反映する伝承といえよう。
広島県 (角川日本地名大辞典)

という、戦国時代の出来事と結びついて伝えられた。洪水時に上流から物が流れ着きやすい場所という意味で分からなくもないので、戦争よりも災害に関連するのかも。

他の「センゾク」地名

「センゾク」という地名から「草鞋」を連想しやすいようで、

の、「千足沢・千足尾根」では、同様に戦国時代のこととして平山氏重の祈りによって天から千足の草鞋が降ってきたと伝え、

の、「千足ダム」の場合は、草鞋を千足履き替えてようやくたどりついた土地であると伝える。


では、伝説を伴わない「センゾク」の語源としては、

センゾク (1)山頂で千束の柴を焚く雨乞い。[千足山・仙足、(千咲〈センザク〉原)](2)「山麓などの傾斜地」にみられる地名。(3)千束分の稲田。[洗足・千足・千作](4)千僧供養をした所。[千僧供]
地名の語源 (1977年) (角川小辞典〈13〉)

が挙げられる。
戸坂が水不足に悩まされた地域ということで、雨乞いが必要ではあった。

雨乞い (略)西山(山積さん)の古墳がある辺りで、神主に祝詞をあげてお祭りしてもらった後火を焚いたとの記憶がある。
『戸坂村史』広島市 1991

山の上でなくて川岸なので、ここで雨乞いをすることはなさそう。それともここで雨乞いのための柴を刈ったか、はたまたよく稲の実る水田であったか((1)から(3)へ)。