百度石の隣の四角柱は、さらに隣にある石灯籠の寄進を顕彰する「芸備十六郡代官一同寄進の石灯籠」の碑。
普通、説明板かなにかで済ませるような所を、左右の面に「由緒(一)」「由緒(二)」として文を連ねていて、もとの石灯籠より目立っている。
句読点がないので適宜改行。
由緒(一)
延享四年(一七四七)尾崎八幡宮司香川将監が創始した備荒貯穀の社倉法は浅野藩全領域に普及し大きく民生に寄与した
藩主は尾崎八幡宮を芸備両國社倉総鎮守とした
藩内官民の尊崇厚く参詣者は永く後を絶たなかった
由緒(二)
天明二年(一七八二)芸備十六郡代官は社前にこの石灯籠二基を寄進して神威畏敬の念を表した
神徳を仰ぎ社倉の要義を解説した頼山陽の父浅野藩学教授頼春水の銘文は已に風化損傷したが
社倉救世の精神は不滅である。
とあるように燈篭に刻まれた銘文は字が小さいこともあって、黒く塗り込んでいない状態ではまず読めない。
写真は末尾の面で、「立石嵌燈 乃照無疆 憫農吾志 孔因孔影」*1で終わり、最後に「孫太郎惟完撰」の名。