環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

正法山観音寺跡

観音堂の正面右手に昭和52年設置の県史跡の説明板が立っている。県史跡の指定は昭和26年。

熊谷氏の一族の菩提所観音寺は、かって大内義隆が宿泊したこともある大寺であったが、天正19年(1591年)熊谷氏が広島城下に移ってからは次第にさびれ、今では巨石で築いた100mに及ぶ石垣と、熊谷氏の定紋(穂矢)を刻んだ古い須弥壇を安置した小さな観音堂に、当時の面影をわずかにとどめている。


文政2年の『国郡志御用につき下調べ書出帳』に寛文5年*1の棟札が載っており、藩主浅野光晟を檀主に「三入之庄下町屋村正法山観音堂」が再興される。
本尊は如意輪観音で、元禄8年*2の棟札に「如意輪大士像一躯」が京都の仏師によって「再彩邑(色?)」されたとある。

*1:1665年

*2:1695年