2009-09-05 観音寺跡の墓所 遺跡 石碑石塔 説明板から。 観音堂南側の墓所には40基余りの古い五輪塔・宝篋印塔がある。熊谷氏代々の墓と伝えているが、形が崩れてはっきりしない。しかし、慶長五年(1600年)熊谷氏の主流が毛利氏に従って萩へ移ってからも、度々家臣を墓参させていたという。 主流が移ったとあるように、一族の中には同地に残って帰農した者もいる。 墓所のある壇の中にさらに六つの区画があり、それぞれに墓石が密集している。壇の右端には昭和54年設置の史跡の碑があり、左端には新しめの墓。 南隣は畠で、高い壇となる。