前項の説明板の画像にあるように、元々八幡宮が別の地の竹薮にあったものが、江戸時代初頭の洪水によって隣村近くまで流失。高靇神*1を祀っていた貴船山(貴布根山)に遷座したという。そのため鳥居には「貴船八幡社」とある。
寛文三年遷座の時の棟札には「奉新建立安南郡河角村新宮八幡社檀一宇」とあり、同年冬増築という拝殿の棟札には「川角八幡宮拝殿」とみえる*2。
『藝藩通志』の「川角村」の項にも「或は水損の患あり」と記され、「江戸後期だけでも文政4・同11・同12・天保3・同10・弘化3年など大洪水にみまわれ」*3ている。
北東に広がる熊野盆地の河川(呉地川・石風呂川・道上川・木綿地川など)が二河川に合流して盆地南端の川角に至る。
参考
- 熊野町史 通史編 (熊野町立図書館 デジタル熊野)
- 角川日本地名大辞典34