環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

満願寺跡へ

本丸に向かって進んでいくと、また道しるべ付きの分岐があり、本丸方面と満願寺跡方面に分かれる。公園からは800mの距離。

石柱にも「左 御本丸 右 満願寺跡」とある。

右の道を進むと、先が少し明るくなっていて、

寺址の平坦面は蓮池二つからなる湿地帯となっている。
藝藩通志』巻六十六、安藝國高田郡四、寺院廃寺附に項目がある。

廢洞春寺、満願寺、並に吉田村郡山城墟にあり、洞春寺は禪宗、満願寺は眞言宗、共に毛利家の菩提祈願所なり、元就、満願寺の椿を見るの和歌あり、家の集に見えたり、又昔、觀世福王など云、猿楽師下りし時、當寺に舞臺を構へ、囃子などありし事を、土人いひ傳ふ、二寺ともに、廣島に移り、移封の後、また萩府に移る、