環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

畝観音免古墳群の石室

そういう立地の観音免に、7世紀前半〜中頃の横穴式石室が二基。

現存長8.1m玄室幅1.9-2.1mの1号墳は海田町ふるさと館の裏手に位置し、館内から開口部を見ることができる。背後にも説明板があり、天井石を失った石室内が見える。
畑地に隣接していたので、西側の壁に石垣が連なる。入口付近には赤羽根川からの土砂流入があるなど、後世の各種の改変が加わる。


2号墳は観音免公園の広場の上にあり、公園造成の際に破壊されて奥壁部分を残すのみ。
1号墳と同規模と推定され、8mを超す石室は海田湾周辺(海田・船越・瀬野川・矢野)で最大規模となる。
(参考:河瀬正利「畝観音免古墳群」『芸備 第26集』)


また、『文化度国郡志*1』「奥海田村」*2の古跡として、

籠塚迚大石ニ而積上ケ、天井も大石ヲ渡、広サ中ニ者大キ成分ハ凡弐間四方、或九尺四方、中ニも*3狭クして長キ分も御座候、戸口ハ凡三尺四方位も御座候、百姓腰林之内ニ七ヶ所御座候

と記されている。
村内に七ヶ所「籠塚(こもりづか)」というものがあり、そのうち大きいものは広さ「二間四方」や「九尺四方」もある。中には(幅が)狭くて(細)長いものもある。入口の広さは「三尺四方」位のものである、という。といった感じか。
現在、海田町域の横穴式石室は「畝観音免古墳群」の2基と「西谷*4古墳群」の2基が知られるのみで、「七ヶ所」の内訳は不明。
二間四方(八畳敷?)というのはまるっきり正方形の石室というよりは、細長い石室に比べて幅広の謂か。それにしても広い。
1号墳の入口幅は1.7mで高さ2.1-2.3m。土砂流入で当時はもう少し低かったろうか。

*1:「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」

*2:海田町史資料編』第三章近世の史料[9]

*3:「者(は)」かとある

*4:にしのたに