環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

八千代町

その刈田村と根野村が合併して「八千代村」となる。新村名の公募で「簸川村」と「八千代村」の二つが残り合併委員会で検討された。歴史的背景から妥当とみられた「簸川」の不適当な点として、大字土師と向山が流域から外れていることと、「簸」の字が当用漢字表にないことがあげられた。「八千代」の語には、永続の意味と「簡易にして新味を持った時代感覚にそっていて」*1とされる。
「八千代」は昭和の大合併で複数あらわれた。昭和61年には「「八千代」同名市町姉妹都市」の提携が調印される。

合併
昭和29 千葉:八千代町(大和田・睦)
兵庫:八千代村(野間谷・大和)
昭和30 茨城:八千代村(安静・下結城・中結城・西豊田・川西)
広島:八千代村(刈田・根野)

平成16年に安芸高田市となり町役場は支所に。

参考

『八千代町史』八千代町.1990

*1:『八千代町史』p404