熊野村では「北川」で、上瀬野村では「荒谷大川」と書かれる熊野川が、同じ文脈*1の熊野跡村ではどうなっているのかは分からない。
けれども、併せて藩に提出された村絵図の控*2を見ると「大川」とある。
多くの支流を集め、村内の中央を流れる最も大きな川であるため「大川」。
また、『阿戸町郷土史 原始古代〜明治維新』*3に「本川または大川と唱えた」とある。「本川」と書かれた例として、安永八年の「雨池井手川筋道筋控帳」*4などがある。
そういった村で通用した名とは別に、『芸藩通志』掲載の熊野跡村絵図には「熊野跡川」と書かれている。(同書上瀬野村・熊野村の絵図には河川名は書かれていない)