環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

芸藩通志での貞丸古墳

その大日堂の近くにあるのが、貞丸1号古墳と2号古墳。
文政8年成立の『藝藩通志』巻九十二 安藝國豊田郡七「墳墓」に、

古壙二所 南方村、官道の山麓にあり、石窟二あり、一は、その中に、臥棺とおぼしき、一の石函を置き、大約長六尺幅三尺高三尺餘あり、俗に油塚とよぶ、二壙の間に、一の小佛堂あり、

とある。
「壙」は穴の意。ここでは「石窟」とも書かれ、俗称として「油塚*1」がある。「官道」は眼下を通る西国街道

現状も同様に、1号古墳の石室内には石棺があり、2号古墳はからっぽ。その間にあるという小佛堂が大日堂にあたる。
巻九十の「寺院廃寺附」には、南方村の廃寺が6ヶ所列挙されている。

廢常圓寺、西光寺、西福寺、總蓮寺、萬念寺、佛調坊 並に南方村にあり、常圓寺、一に常惠寺に作る、眞言宗、法持院に屬せしといふ、今、小堂ありて、開山の像を存す、西光寺、西福寺、共に小堂あり、總蓮以下は、地名に存するのみ、

とあるうちの「西福寺」が大日堂にあたる、というのが同書南方村の絵図に「油塚」とともに記されていることでわかるようになっている。

*1:あぶらづか