「此外丸数多有之候得共委細ハ知れ不申候」(「高田郡村々覚書」*1)・「此外丸数余多アリト雖モ名ヲ知ル者ナシ」(「弔古録」*2)というふうに、後世に伝わっている名前をたよりに配置が説明される。なので、戦国当時の呼称や範囲とは違うこともあるかもしれず。
「高田郡村々覚書」(宝永2年)*3では、13ヶ所の名前と東西・南北の長さを載せる。
名称 | 東西(間) | 南北(間) | 預り主 |
御本丸 | 20 | 24 | |
二之丸 | 30 | 10 | |
御三之丸 | 33 | 13 | |
御釜屋段 | 30 | 29 | |
御蔵屋敷之段 | 45 | 12 | |
御馬屋之段 | 35 | 28 | |
一位之段 | 17 | 20 | 粟屋縫殿 |
釣井之段 | 11 | 25 | |
尾崎ノ丸 | 不知 | 不知 | 不知 |
矢倉段 | 10 | 15 | 桂三右衛門 |
本城 | - | - | 不知 |
姫丸(西之丸) | 11 | 25 | |
はごの丸 | - | - | 不知 |
「本城」は南の尾根にあった旧本城のこと。最後に「丸々の畝数〆三反七畝三歩」と総面積があるが、ここの曲輪については町間で見当をつけるばかり。
なお、吉田村の項に続いて「一、山部村名所旧跡之儀村中吟味仕候得共語伝之儀存知たる者無御座候」とあって、城の裏手の村にとっては縁が薄いらしい。
「国郡志御用ニ付下しらべ書出帳」(文政三年提出)では、上記のような既存の資料を継承しつつ地誌編纂に必要な情報が整理される。
名称 | 面積 | 預り主 |
御本丸 | 1畝5歩 | |
二之丸 | 6畝18歩 | |
三之丸 | 5畝15歩 | |
姫之丸 | 2畝 | |
馬屋段 | 5畝12歩 | |
釜屋段 | 1畝15歩 | |
勢溜り | 3畝14歩 | |
勢溜り | 5畝 | |
井壇 | 7畝20歩 | |
一位ノ段 | 9畝18歩 | 粟屋縫殿 |
尾崎 | 5畝20歩 | |
櫓ノ壇 | 4畝6歩 | 桂三良右衛門 |
ハゴノ丸 | 4畝 | |
古本丸 | 6畝*4 |
規模の表現は「町間」から「畝歩」になっている。単純に掛け合わせたものではなく。
項目の順序や表記の違いの他には、「御蔵屋敷之段」が無くなり、「勢溜り」の二段が現れている。両者は南西方向に連続する曲輪で、やたらに長い御蔵屋敷之段の「東西四拾五間」は「勢溜り」も含まれることになる。
「吉高農業クラブ」による年季のいった説明板に「三四三・二平方米と四九五平方米の二段になっている。」とある。「下しらべ書出帳」の数値を換算したもの。