環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「金箔瓦の系譜」の都市

11月13日から12月12日まで広島城天守*1で開催中の「金箔瓦の系譜」は、昨年出土した金箔鯱瓦を中心に、関連する金箔瓦や城郭・寺院の瓦を見ることができる。

そこの展示品のひとつ、毛利氏時代の屋敷割をあらわしているとされる「毛利氏時代広島城下町絵図」(萩博物館蔵のものを複製)にも大きな敷地で「洞春寺」が載っている。寺院の土地はどれも赤く塗ってある。(文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/Index.do に画像あり。)
毛利氏時代の様子が絵図の通りだったならば、現在と違って二の丸の出丸が無く、本丸の西に橋が架かっているといった構造だったということになるんでしょうかどうなるやら(絵図自体は元禄以降の作成かとされる)。

洞春寺は郡山の堂宇を残して新たに建てられたのだけれども、郡山城内の建物についての遺物が少ないので、どの程度瓦が使われていて、広島築城によって建物がどうなったのかははっきりしていない。後世の郡山城絵図などに書かれる櫓などはもちろん想像図。(同じく文化遺産オンラインに「安芸郡山城図絵」あり)