竹原下市の町並みの中に、低い塀で囲まれた区域があって、真ん中に地蔵堂が建っている。
山腹に上がる前の西方寺*1の故地に当たる。本尊は石の地蔵像。『竹原下市一邑志』*2に「岩石を雕刻す、何の代よりこれを刻するを識らず。是は昔の西方寺の境内なり。田浦山地蔵院と号す」*3とある。現在の扁額は「地蔵尊」。光が反射してぼやけた写真になってしまう。
竹原下市村の『国郡志御用ニ付下調書出帳』*4の「土地古今変改」の部にも「自然石之地蔵仏」として触れられている。町が形成される前は海岸であった。
寺山之東を田野浦と申候、田地有之其磯際と相見へ申候所ニ自然石之地蔵仏像御座候、追〃土ニ埋リ尊像も土ニ隠れ候故、四方へ石を積廻し土留メ仕候由、