友待橋のすぐ南、「友待橋交差点」のすぐ西に「時友一里塚跡」の説明板がある。
東は西条の酒蔵通り、西は八本松へ抜ける峠道へ通じる西国街道の一里塚のあったところで、右下に掲載されている「賀茂郡往還絵図」に、「大川」*1に架かる「時友橋」が大きく描かれている。
賀茂郡寺家村の「国郡志御用就書出帳」では村内の「土橋廿六ヶ所」の筆頭に挙がり、「長拾間巾貳間」とある。
説明板に「広島藩は道幅を二間半(約4.5m)としました」とあり、村内の他の橋(渡)の巾が二尺〜三尺であるのに比べると格段に広い道と橋を備えていた。