環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

波多見の八幡宮

麓の鳥居と標柱の間にある石碑に八幡山神社の略歴が記されている。

平成4年の建立で、祭神が応神天皇神功皇后玉依姫命であることのほか、以下の出来事が載っている。

天平宝字年間 勧請
中世 戦乱によって矢野へ遷る
永禄3年 尾崎神社(矢野)から渡子*1へ遷る
その後 当地に遷る
天正4年 小早川隆景が再建
文化文政期 藝藩通志』の記述「祠官の属十余家あり…」
以後 二・三回の改修


音戸町の前身は、東部の音戸瀬戸〜藤脇「瀬戸島村」と、北西部の早瀬瀬戸に面する「渡子島村」で、瀬戸島は中世には波多見島・波多見浦と呼ばれた。
島をめぐって矢野を拠点とする野間氏と竹原小早川氏が争ったこともあって、小早川氏の所領に落ち着くまでが明瞭でない。


藝藩通志』(巻三十九 安藝國安藝郡四 祠廟)には

八幡宮 瀬戸島波多見村にあり、建久二年辛亥、勸請すと云、天正四年丙子、小早川隆景、再造、(略)

と、細かなところは端折られ、古代の「八幡宮」以前の姿には触れない。
藝藩通志』にこうある、と紹介するのは角川日本地名大辞典 (34) 広島県日本歴史地名大系 第35巻 広島県の地名も同じながら、『角川』のほうに「波多見の八幡神社は永正13年の創建と伝える(芸藩通志)」とあるのは、『大系』に「有清の玉剣神社はもと八王子社と称し、永正一三年(一五一六)の創建という(芸藩通志)」とあるように別の集落の神社のこと。

*1:とのこ