環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

白崎

橋の南の「白崎園」の園名を記した碑は当時の町長の字。近付いて見ていないけれども。
その傍らの碑に「「白崎」という地名」と題して由来を述べている。*1
丸屋城を本拠とした多賀谷氏が見戸代にも城を構えていたこと、さらに見戸代の先端にも見張所のようなものを置いたことから「城の崎」と呼んだのであろうという。
もしくはこの岬に波しぶきがかかって白く見えることから呼んだとも、その岩場が石灰岩を産する地層であることからともいう。
語源そのものは諸説というか城か白かが定まらないものの*2、公園の名前はその土地の名に由来するということは、あたりまえではあるけれども確かなこと。

蒲刈志』のあげる「蒲刈八景」のうちに、「白崎暮雪」がある。「○○八景」のテンプレートに添って「見戸代夜雨」「常灯晴嵐」「長雁木秋月」「刈浜落雁」「弘願寺晩鐘」「冨崎帰帆」「胡社夕照」というふうにあてはめられている。語源はともかくとして、島の北端の「白崎」と「雪」は結びつきやすい。

同書の絵図にはもうひとつ、「イカリ」と併記してある。巻二の「見戸代」の項に、見戸代の里の左端が白崎にまたがるとして、「一名伊伽利ノハナ、即チ猫瀬戸也」という。また、「イカリ 一名見戸代ハナ又白崎、此処春秋不易ノ釣場也」といい、大フカや大鯛の棲むという豊かな釣り場として知られていた。

*1:下蒲刈町史 民俗編』「下蒲刈の石造物」

*2:どちらかというと城の説明に重点のある書きかた