環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

宮之城附近の川

宮之城*1の丘陵先端はすぐ江の川に接していて、西に本谷川、東に油川が合流する。周辺図http://cyberjapan.jp/ptmap/

川本村の『国郡志御用ニ付下調書出帳』の「村内土地古今相違事」の項に

大川も往古とは附替り之趣も古老之者申伝も御座候得共是以何つ頃と申旧記も無御座候
尤甲元と申枝郷之内福原村境古川と申所御座候先年者此所へ通りし由

とあり、かつては対岸の福原の方に寄った川筋であったらしい。そのため現流路になってからは「甲元」が川本村の飛地として残った。


同村の「川」の項では、大川のうち、宮の城近くに深い淵がったたことが見える。大川(江の川)の流路に変わる前からも支流の流れ込む深みが存在したものか。

大川之内宮の城と申渕壱ヶ所御座候
川陌五十間長百廿間深サ壱丈三尺も御座候
此渕鯉鮒なまず真亀類居申候


同村の「物産」には「水中生物之類」という分類で11種の名前が載っている。

鯉 鮒 鮠 鱒 鮎 はへ どじょう にら 藤三郎 田螺 大刀貝

山下欣二「『国郡志御用ニ付下調書出帳』に見る水族・魚介,I-安芸国*2によると、「鮠」は「ハヤ」を指す字の一種で、オイカワやカワムツなどのハヤ類に対して用いられる。「はへ」とは使い分けがあるのだろうか。「にら」はどの水族を指すのか不明。「藤三郎」は川魚のオヤニラミのことで高田郡・山縣郡にその名がみえる。「大刀貝」(タチ貝・太刀貝)の名は高田郡に多く、ササノハガイの類かもしれないとある。
これらの水族を村内の河川全般に生息するものとすると、そこに挙がっていない「なまず」「真亀(スッポン)」といった動物が「淵」に特有の獲物として認識されていたようである。

*1:国土地理院の地図上での表記

*2:『宮島の歴史と民俗』No.12 宮島町立宮島歴史民俗資料館.1995