環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

一里塚跡の保存

現在の可部九丁目、九品寺・下町屋にわたる南原川西岸一帯を「地蔵河原」というが、一里塚と地蔵堂のある辺りは元「上町屋村」にふくまれる。流路変更のなごりか。小字名(小名)「シモコノ」は「下小野」「下木野」「下此」の表記がある。

可部町ヨリ浜田往来下町屋村堺下小野ヨリ移当村ノ内三丁四拾四間通南原村エ入
此内可部町ヨリ一里塚一ヶ所有之尚南原村郷中に少々入込申候


上町屋村「国郡志御用につき下調べ書出帳」

「浜田往来」(石州街道)に置かれたこの一里塚は、可部町の渡り町*1から一里の距離にあたる。
広島県の文化財 - 地蔵河原一里塚 広島県の文化財 - 地蔵河原一里塚 広島県の文化財 - 地蔵河原一里塚

道路の嵩上げによって塚の高さは失われつつも、明治以後も取り除かれることなく残り、県の史跡に指定されたのが昭和40年。説明板上の写真のように、当時はまだクロマツが高々と聳えていたので、指定とともに置かれた石碑裏には樹令や樹高などの数字も載っている。


しかし昭和56年に伐採を余儀なくされる*2。この切株の姿を残してから三十年が経ったことになる。三年前の平成20年には、切株を囲む玉垣が設けられている。

*1:現可部二丁目

*2:「かべの町かど」参照 http://emiria.chu.jp/machi/itiri.htm