環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

石州街道から大師坂への分岐

てな感じで、その辺りのたいがいの史跡は、web上の「かべの町かど」を参照するのが先決となる。

地蔵河原一里塚のすぐ北にある福王寺へのしるべ石についても、
福王寺へのしるべ石
をあたればいい、のだけれど画像が参照できないので、記事当時の道しるべ周辺の様子が気になったりもする*1



広島市空鞘町?)の人によって寄進されたのが「明治三十六年」*2。当時の現地は安佐郡中原村に属し、可部の中心部が単独で「可部町」であった頃。横川可部間の乗合自動車が動いた年でもあるが、道しるべの立った「九月」には中止となっている。

*1:書籍のほうをあたればいいのだけれど

*2:1903年