環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

田中山神社と手水鉢

安東六丁目の「田中山神社」は八幡宮で、昭和44年の「田中山神社御由緒」*1によると、

この神社は上安村ならびに相田村、高取村三箇村の産土の神であり古くから一の宮と称していたが、一の宮というのは一郡の惣社でその他はすべて摂社となるが、そのような確実な証拠が見当たらないため明治四年のお調べの際一の宮の名称は取消しになったものである。


とある。国の一の宮もあれば郡の一の宮もあり。村*2で一番大きければ、それもまた村にとっての「一の宮」ではあり。
藝藩通志』では単に「八幡宮」。

八幡宮 上安村にあり、安永七年戊戌、再造、同殿に天神を祀る
(巻四十七 安芸国沼田郡 祠廟)


「天神」も祀っているため、石段の麓には牛が左右にいる。

石段の上と下にそれぞれ手水鉢があり、上が昭和49年、下が慶応4年*3。いずれも導水が整っている。



参道側に「奉献」と大きく、裏側に「石工」の名があり、側面に縦書きで「慶應四年戊辰 八月吉祥日 當村氏子中」とくっきり。まさか数年後に一の宮と呼べなくなるとは思ってもいなかった頃の上安村民の奉納物。

*1:幣殿に掲げてある

*2:戦国期の「上安村」から相田・高取・大町が分村したという

*3:1868年