環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

芦田川(大田川)

世羅台地を蛇行しながら西から東へ流れる芦田川大和町蔵宗(現三原市)に発し、世羅町府中市を経て福山市で瀬戸内海へ注ぐ。

芸藩通志』では世羅郡部分(上流)を「大田川」とする。その当時の村で言うと、別迫・青近・伊尾・松崎・小谷・川尻・小世良・東上原・西上原・赤屋・本郷・甲山・東神崎・西神崎・井折・寺町・堀越・京丸・中原・三郎丸・青山・田打・重永の23箇町村が「大田庄」と呼ばれた。

大田*1川 水源蔵宗村、大番谷より出て、萩原、賀茂、重永、及び大田庄數村、凡十里餘を歴て、小谷村より、芦田郡久佐村に出る(略)
(巻百六 備後國世羅郡三)

現地の村々では「大川」「郷川」「沖川」等まちまちに呼ばれた。数々の谷川を集めて、土地の低いところを流れる本流であるため、多くの場合農業用水に使うには不便であった。以下『芸藩通志編集資料 世羅郡下調べ書出帳集成』から。

南之方ハ東神崎ヨリ西上原村境川有、大川ト唱西より東江流、用水ニ者差而不相成候、
(本郷村)

一 郷川幅五間 (略)寺町村之内古川と申田地五反五畝之用水ニ相成候外者一円当村用水ニ不相成、洪水之節者田地江水湛、迷惑ニ相当り申候
(西神崎村)

(略)南ニ川有り、此川西ヨリ東ヱ流レ、川向西神崎村郷中江見晴ニ御座候而、此川少々ハ用水ニも罷成、其外池掛等も御座候得共、平均水利不自由ニ御座候
(略)
一 沖川幅八間、川上堀越村より流来り、村内弐拾六丁なかれ申候、(略)
(寺町村)


消防署にほど近い、「大善橋」の架かるあたりが大字「西神崎」で、北の寺町の中に西神崎の飛地*2「古川」が食い込んでいるかたちになる。

*1:おほた

*2:河川が分断しているという意味での「飛地」