環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

高烏台

警固屋の方から音戸の瀬戸を臨む高台が「高烏台」で、もと砲台のあった軍用地が戦後に「音戸の瀬戸公園」として整備された。説明板には、たぶん読み間違えられやすいためか「たかがらす」の振り仮名が見える。


広島湾の入口の要所に砲台を設ける「呉要塞」*1が明治二十年代に計画され、日清戦争後に順次着工された(wikipedia:広島湾要塞)。高烏砲台の起工が明治33年(1900年)。


公園内には火薬庫や兵舎の跡などが残る。


*1:のちに「広島湾要塞」