CiNii 論文 - 福岡女子大学附属図書館蔵『東路日記』翻刻・解題(上)
小田宅子『東路日記』のはじまりは天保12年閏正月16日。筑前国芦屋の里を出発し、赤間関・浅市・小郡・山口・宮市・室積・上関という道筋をたどっている。音戸を訪れる前に「宮島」に四泊しており、2月4日に岩国から到着してから5日・6日・7日と、毎日厳島神社に詣でている。8日に船に乗り音戸に移るのは前項の通り。
二日目の参詣で「神司」から「正月の鏡もちひ」を振舞われている。*1
三日目は「回樓」に潮が満ちてきているのが印象に残る時間に訪れたらしい。
めづらしと満来る汐にいつくしま波の上なる神の社は
そのあと連れの人たちは弥山に登るが、筆者本人はすでに登ったことがあり、山上の八十八ヶ所も巡ったという。
四日目は「我待舟は見えずやあらん」と海上を眺めつつ歌を詠む。
わたのはら波もかすみていつくしま百ふね千舟かよふのどけさ
行き交う船自体は多く見えるけれども、自分たちの乗る船は見えず、「今夜も船待がてら」一泊することになる。
*1:この時期が鏡開き?