環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

國聽の碑

猿田彦大神から100mでは近すぎるので、どちらかというと200m東に行くと「周防国衙跡」の記念碑あたりに至る。

大きく「國聽」と刻まれた碑そのものについての説明板があり、「『国庁の碑』は、安永7年(1860)国庁寺の候人上司主税平重寛、武嶋完次平重勝が建立したものである。」と文章が続き、近世の「国庁寺」の配置図と、國聽碑背面と側面の拓本写真も載っている。西暦1860年は安政七年。
国庁寺 国庁寺 国庁寺

背面の文章の読み下しは『防府地方碑文集』に拠っているとのこと。
安政七年歳次庚申三月五日」という、安政が萬延に改まる間際の時期にあたる。