環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

岩ノ城(いわのじょう)


岩ノ城橋と岩の城歩道橋の架かっているのは、江の川に大迫川が合流するところで、吉田町常友の東の端にあたる。国司村の「国郡志御用ニ付下調書出帳」*1に、

先年ハ大川常友村之内に御座候処洪水にて付替当時当村之内を流候由


「大川」(江の川)の流路が昔は常友の側に寄っていたとあり、「書出帳」当時は旧河道あたりが「国司村永川成」となっている*2



岩城と申所横渡舟有、常友村と万事寄合に支配仕候

「岩城」という地点は、橋がかかる以前も渡し場として使われていた。宝永二年の『高田郡村々覚書』*3国司村の項には、

船造り替申時者従 公儀銀弐枚被遣候

とある。上流の長屋村*4下流の下小原村*5でも渡し船補助金が出ていたらしい。

追記

常友村の「書出帳(要約)」*6には、「横渡し船弐艘」について書いてあり、一艘は「造替之節入用銀ニ而十弐ヶ村へ御割賦被為仰付」とある。
もう一艘が「常友国司両村寄合」のもので、「造替之節入用銀之内八拾六匁御銀出余ニ而近村弐拾壱ヶ村御割賦被為仰付候」とある。支給される銀2枚に加えて近隣の村の負担も必要らしい。

*1:高田郡史資料編』

*2:芸藩通志』の常友村絵図

*3:高田郡史資料編』

*4:「従 公儀」で途切れている

*5:篠原の渡しにて「銀壱枚宛」

*6:高田郡史資料編』p608