環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

塩町の駅

駅長さんの書いた駅名(広島鉄道管理局)ものがたり (1977年)の本は、国鉄の広島鉄道管理局(当時)の範囲を扱っていて、芸備線の記述は「神杉駅」から始まる*1

その「神杉駅」の項でも一部「塩町駅」について触れられている。大正11年の開設時は「塩町駅」の名で始まり、現「塩町駅」は誘致運動によって「昭和五年四月やっとかなえられ、請願駅「田幸」が誕生した」*2。それぞれ現在の名称に変わるのは昭和9年


福塩線のもとになった「福塩北線」が開通するのが昭和8年。現塩町駅のすぐ東で分岐する。

当時、福塩線は塩町から分岐させる計画で用地も確保してあったが、美波羅川に橋をかける必要があり、経済的な理由から田幸駅で分岐することになったという。(同書p144)

当時の事情によっては、分岐点の位置も鉄橋の数も踏切の数も、あるいは広域農道ルートや渡る線路の数も違ってきたのだろうか。

*1:山陽本線三原駅以西

*2:p144