神社の由緒に関連のあるような詩文や古典の一幕などがあれば、注連柱に刻む成句も選びやすいのかもしれない。
尾長天満宮(東区)の階段をのぼりつめた見晴らしの良い場所に注連柱があり、「厳島神社宮司淺野忠純」の揮毫による「昨爲北闕被悲士」「今須望足護皇基」が左右に立っている。
菅公の作ではないけれども、祟りを鎮めるために位階を追贈した際に天から聞こえてきた漢詩(の一部)、という文脈であらわれる。『太平記』では巻十二「大内裏造営事付聖廟御事」にあり、
造とも又も焼なん菅原や棟の板間の合ん限りは
http://www.j-texts.com/taihei/tk012.html
此歌に神慮尚も御納受なかりけりと驚思食て、一条院より正一位太政大臣の官位を賜らせ玉ふ。
勅使安楽寺に下て詔書を読上ける時天に声有て一首の詩聞へたり。
として七言絶句が続き、「其後よりは、神の嗔も静り国土も穏也」と一変する。
注連柱にある句の間に「今作西都雪恥尸。生恨死歓其我奈。」が入るので、左右の柱でこの詩全体を表しているともに、死して後の名誉回復という事情を端折っておくことで、再起を誓う数多の参詣者に広く当てはめることができる。