コンクリートで水路を固められた天神川は、砂防施設も整えられて境内を目立たず通過して、市街地では暗渠を通る。
さらに奥、菅公腰掛石とそれを示す碑のあるあたりは土の上を通るままの自然の細流。そういう源流域の方が好まれやすい風景、ではありつつも、
参道入口そばの案内図にある、
上記の絵図は、明治34年(1901年)に作成されたものです。惜しくも大正15年(1926年)9月の豪雨によって社殿のほとんどが倒壊流出しましたが、当時の境内全体の様子がよくわかります
という旧状を失わせるほどの経緯からすると、用水路のように整備された渓流というのが、「水神社」の周りの風景としてはあるべき(平穏な)状態ということになる。
谷に入るや清水あり、これを汲みて献る。公之を飲み、随意泉なりと名付け給う。この地に水神を勧請す。
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天神宮の水害記念碑 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20120617/1339908915