環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

牛田の町内

「牛田」を冠する現在の住居表示(牛田本町・牛田新町・牛田中・牛田東・牛田南・牛田旭・牛田早稲田)が施行されたのは昭和45年。昭和50年の芳名板(牛田早稲田の境内社)に現在と同様の町名が並ぶ。この場合は「牛田」の冠称は略して差し支えない。*1

『牛田町誌』の92頁「広島市に合併」の項に

牛田町の最初の仕事は、それまでの16町内を簡略化して近代的な7町内にまとめることです。このとき作った町内会が、少し変わりつつ今も生きています。

とある。加えて脚注に「52戸と少ない早稲田区から多い区で208戸の本町区など規模はふぞろいでしたが」との具体例が見える。早稲田神社玉垣にも奉納者の所属する「区」が刻まれている。現在の住居表示には無い「丹土区」「神田区」も見える。


「東区」はもちろん「広島市東区」のことではないし、「牛田中」は「牛・田中」で区切らない。「牛田早稲田」はお城の西北ではないが東区役所の西北かもしれない(とても蛇足)。

*1:それとも筆頭の「牛田新町」で代表させているのか