環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

広島市の觀音村

広島市の「観音町」は大正11年からの呼称で、それ以前は「村」。沼田郡の観音村が広島市の大字になった明治22年以降も含めて「村」が続いた*1



黄魂彦神社の県道に面した側に石碑が林立していて、外側に裏面が向いている。そのうちの「凱旋碑」(大正3年)には「觀音村沖組出征兵士」が名を連ね、「道路改修記念碑」(明治45年)には「天満川西沿流有村曰觀音」という村の位置の説明から始まる。

*1:角川日本地名大辞典34』の「観音村」と「地名用語」の「字」「明治22年の市制町村制の実施に伴い、原則として江戸期の村名を大字(おおあざ)とした」