環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

吉川元春と元長の墓

吉川元春館跡(海応寺跡*1)に接する山林の中に吉川元春と元長の親子の墓所がある。両者とも九州で亡くなった後ここに葬られた。


もう一基の墓を説明板では元春の四男のもの「と言われているがさだかでない」とする。『芸藩通志』では「吉川氏三碑」の項目名で「一は知れず」とする。海応寺村絵図では樹木の絵が三つ並ぶ。

この説明板の文章は「昭和六十年二月一日」とし、先頭の「史跡 吉川氏城館跡」は「昭和六十一年八月二十八日指定」となっている。

吉川氏の岩国移封後の状態については、文政10年の修復で玉垣石燈が加わり、明治四十一年の進賞追贈をうけての改修があったことが記されている。