環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

元観音村長

観音村が五日市町の一部になってから十年後に建てられたのが、その隣の「天田快造翁顕彰碑」。

大正10年から25年間、観音村長を努めた翁の功績をたたえるため「旧観音村有志一同」が建立した、とある。説明板には主な事績として「小学校の移転統合」「岡の下川改修工事」などを載せる。

揮毫は当時の文部大臣灘尾弘吉。新庄之宮の「岡本與茂一翁頌徳碑」*1と同趣ながら、石の色や質感がずいぶん異なる。字と字の間隔の違いも大きい。