環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

神勅の注連柱

尚昭和ノ御代ニナリ伊邪那岐 伊邪那美ニ柱ノ神ヲ奉斎シ御神徳ヲ敬慕シ神前結婚式ヲ広メ挙式等ニ関スル総テノ設備セシハ當社ヲ以テ濫觴トナス

と「鶴羽根神社由緒」の末尾にあるように、もとは八幡宮明星院八幡宮・椎ノ木八幡宮・鶴羽根八幡宮)として八幡三神が主祭神だった鶴羽根神社。


なので、明治39年の注連柱に刻まれた文言は「謹録 八幡宮神勅」として「開闢以來君臣定矣」「以臣爲君未之有也」。木越安綱中将の揮毫。
同じ年の吉浦八幡の記念碑*1と比べるとほっそりしてお手本になりそうな楷書。神勅だけに謹直な。