海田の毘沙門堂から矢野方面を眺めると、東から西へ突き出た西崎山の形がよく見える。矢野中学校の校舎も見えて造成で均された変化も分かりやすい。
「さいざき」は「幸崎」または「西崎」。矢野村の「下しらべ書出帖」では「御建西崎山」や「西崎川」と書かれる。その表記が定着すると「にしざき」の読みも現れるようになる。「にしざき」の読みの出現が使い分けのための「幸崎」表記を促す。
一方、境を接する奥海田村では同じ山を「道祖崎山」と表記する。この表記なら「さいざき」の読みは継続しやすいかもしれないが、「どうそざき」になる展開もないこともない。
藝藩通志掲載の絵図上でもそれぞれの村で「道祖崎山」「西崎山」と書かれる。