環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

井原の記述

現在は安佐北区白木町の井原は、吉田町の入江とは荒谷山一つ挟んで南に位置する。もとは同じ高田郡なのでいちおう「近村」。



井原村の書出帳には「塚」が村内各地にたくさんあるとして列挙されている。

一、塚弐拾壱ヶ所

光泉寺上 壱ヶ所 奥行九尺 はば五尺 高サ壱間
仝所 壱ヶ所 奥行一間 はば二尺五寸 高サ弐尺五寸
佐々井廻 壱ヶ所 奥行七尺 はば四尺 高サ三尺
高山 八ヶ所 当時埋居申候
同所 壱ヶ所 奥行四尺 はば四尺 高サ弐尺
同所 壱ヶ所 奥行五尺 はば三尺 高サ弐尺
同所 壱ヶ所 右同断
同所 三ヶ所 奥行七尺 はば四尺 高サ四尺
同所 壱ヶ所 奥行壱間 はば弐尺 高サ四尺
平原上 壱ヶ所  当時埋居申候
同所 壱ヶ所 奥行壱間 はば弐尺 高サ弐尺五寸
塚ヶ原 壱ヶ所 当時埋居申候
*1

開口した横穴式石室を「奥行」と「はば」と「高サ」で記述していて、これまで見た他村の描写より淡々している。
『白木町史』には「むかし人々は古墳のことを「塚」と呼んで、遠いむかし火の雨が降った時代この石の岩屋に寝起きし、塚はその時の住居の跡であると考えていた」とあるが、「塚」という言葉自体がそういった解釈を含意するものではない*2ので、井原村の記述だけからは地元民の解釈が住居跡にあったかどうか推し量りにくい。

*1:高田郡史』所収

*2:逆に「塚」が墓所を意味するとも限らない