その案内図では8の番号がふられているのが新町の荒神社と胡神社。
今では駅の北の市街地のどまんなかだが、昔の地形では街道脇の河川敷。
荒神社は案内図では「1873年(明治6年)瀬野川の瀬替えに伴い勧請されたと思われます」と書かれ、現地の説明文では大火の後に火伏せのために勧請されたとある。
社殿の大きさからか道の角にあるからか、荒神社のほうが目立つの*1。
案内図に「1834年(天保5年)勧請」とあるので胡子神社のほうが先に現地にあったかとおもったら、現地の説明文では昭和初期に現在地に鎮座とある。