環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

脇の脇

吉川氏が駿河から勧請した八幡宮が龍山八幡で、右脇に接している社が治功神社。
安永9年、吉川経倫により再建された社殿が現在のもの(『大朝町史 上巻』)ということで、龍山八幡と比べてしまうとどうしても新しい。
吉川興経とその妻子を祀るのでこちらも吉川氏にとって重要で、岩国へ分祀された後は現在の吉香神社のもととなる。


さらに脇には「三社大明神社」が祀られていたと『大朝町史上巻』にある。安永8年建立ということで、怪異はおさまっていた頃だけど、吉川興経の家臣の手島兄弟も改めて祀ろうという余裕だろうか念のためだろうか。