環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

致遠の知名度

岩国藩の砲術家、致遠こと有坂長為の顕彰の為の文章を福山藩の江木鰐水が書いているその碑文。安政2年に致遠は没している。


引き合いに出されるのは高島茂敦門下の旗本「江川下曾根」の二人で、海防の議起こって「二子之名 震于一時 而君亦漸顯焉」という時期を迎えたが、「特以所居微且僻 不及江川下曾根二子之盛」と江戸から離れた地であったことが惜しまれている。