環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

百石という土地


その西法寺川が石内川と合流するあたりが「百石(ひゃくいし)」で、「石内湯戸下沖土地管理株式会社」による大きな説明板がある。
五日市町に合併する前の「石内村」の古名「石道」を紹介しつつ、この百石の地はかつて海岸が近かった頃の入江であったとし、川を渡る「飛石数百有し由」を百石の由来とする。近代の地誌『石内村郷土誌』を抜粋して「原文のまま」載せている。よく見ると「往古」とあるべきところ「住吉」となっていて、原典の間違いなのか説明板の間違いなのか迷う。

おそらく『石内村郷土誌』は村勢の記述を文政2年の「国郡誌御用ニ附下知ら遍書出帳」*1に採っていて、「村内土地古今相違之様子」の項目で「往古者当村郷中川下迄入江にて潮満込候に付川幅広渡り之飛石数百有之由」という表現が見られる。それに続けて「怪我人等間々有之ニ付石仏を建立いたし候由此石仏今尚有之」ともある。説明板で石仏のことを省いてあるのは海岸線が迫っていた古代の風景に限定して思い描こうとしたためかもしれない

*1:五日市町史資料編』所収