昭和9年奉納の額「忠孝」*1は廣島市の実業家島本幸助による。こちらも家督を継いだ際に「幸助」を襲名している。 天保12年の頃の絵馬では、単に「廣島」と書かれる。馬の彫刻を貼りつけた絵馬を奉納したのは「藤吾助」。 *1:書は頼春水
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