環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

木の遊歩道

その芝生広場の中をめぐる白っぽい遊歩道はふわふわと弾力がある。へこみそうでへこまない。 「間伐材チップ舗装」の立て札が道の脇に小さくあり、この舗装に中国山地の間伐材が使われていることが説明されている。道と芝生を区切る縁には太田川上流の木材。…

桜並木のはじまり

2014年2月6日 桜の植樹式が広島みなと公園で行われました。 - 広島県ホームページ という記事が、今年2月の桜の植樹式の様子を紹介している。みなと公園の内の国際フェリーポート寄りの緑地でのことで、園内の遊歩道に沿って並木となるように植えられている。…

公園内の広場

牡蠣で活気、といいますか、 期間限定でかき小屋が開かれているのが「賑わい広場」で、広島みなと公園内にはほかに「ピクニック広場」「センター広場」「エントランス広場」という各種の舗装や植栽の違いのある広場が配置されている。 電停の北向かいに広が…

かき小屋看板

「みなと公園」が片仮名で「ミナト公園」と書かれることはほとんど無いだろうけれど、 焼き牡蠣を売る店は「かき小屋」だったり「カキ小屋」だったりする。漢字の「牡蠣」は、「柿」と間違えそうな状況なら出番がある。 道路脇の立て看板でも両方使われてい…

宇品海岸のみなと公園

「広島みなと公園」という表記のように、漢字の「港」だと「みなと」と読んでもらえなさそうな場合に平仮名に開いて読み方を制限する。 広島港の旅客ターミナル屋上から北を望むと、眼下に広がるみなと公園の広場。 所在地の「宇品海岸」は西から東へ一丁目…

埠頭と桟橋の字

波止場公園の外壁に展示されている「広島港の歴史」*1のパネルの中に「県営桟橋と市営桟橋」の項と「築港100年」の項が並んでいる。 公園入口の看板は「埠頭」と大きな字で表示されているけれど、説明文中では「ふ頭」と交ぜ書き。 パネルの見出しでは「桟橋…

宇品波止場公園

宇品波止場公園 - 広島県ホームページ のページに宇品波止場公園の紹介がある。海島博シンボルタワー(移築)や宇品線展示物などのある区域*1がまず平成2年(1990年)に完成し、芝生緑地が加わったのが平成18年とのこと。 「宇品波止場公園」の碑の背後に「…

広島港の記念樹

出来事の区切りには十周年とか百周年とか、年単位できりのいい年をとって記念事業が行われる。*1 「広島港貿易開港」からの記念の周期は、入港した船の数を単位としている。並んだ記念植樹は「三万隻」(平成2年)、「三万五千隻」(平成5年)、「四万隻」(…

天保山公園

近世末からの名所で明治の記念塔もあるけれど、公園としての開園は昭和33年。 西の入口と山頂の間に桜並木。その手前の石碑は、大阪港ライオンズクラブの「樹木」寄贈の記念碑。年は昭和46年、「チャター伝達10周年」とあるように、その10年前の昭和36年に認…

港区の蓋

大阪城でその蓋を見かけたときは、城のある中央区だからそういうデザインなのだろうと思っていたけれど、 他の区でも同じ絵が使われているのを見ると、名古屋じゃないけど城でもっている市なのだと思うのがいいのか、または市内の川はすべて堀と見なせば市内…

天守と桜

大阪市のマンホールの蓋の意匠に天守閣と桜が使われている。 遠くから眺める天守ではなくて、本丸まで入ってから見上げる天守なら上や下に桜を収める配置になる。入口のある南側からか、または山里口の側か。 堀の向こうから眺める距離だと桜以外の木が目立…

川から見上げる

石垣の上の桜が枝を垂れ下げている様子を、大川の水上バスで第二寝屋川の南岸を見てみると、視点が低すぎると石垣と重なって見える枝というのは少ない様子。 石垣の上にフェンスがある部分だと、枝が川の方に張り出している様子は分かりやすい。

石垣の上の桜

堀*1を囲むように桜の木が帯をつくる。向かいの桜を遠目に眺めるも良し、手前の枝を一本ずつ見るも良し。 石垣の上で間近に眺めると、普通の桜の並木道。 堀の上に延びた枝は石垣の高さへと垂れ下がるので、水を背景にして空中に浮かんでいるような。 *1:広…

観音免の桜

傾斜のある土地にある桜は、下から見上げられる姿で印象づけられる。 海田町ふるさと館に登る坂道から、最初に見えてくる桜は赤羽川の脇に立っていて、建物に枝を差しかけるように東へ花を広げる。 館の背後の観音免公園にもところどころ桜があって、大きな…

桜を見下ろす

それほど大きくない桜が歩道近くにある、南区皆実町の公園。 電車通りに架かる「皆実陸橋」*1がそばにあるので、桜よりも高い位置から眺められる。木も道も橋も程よい小ささ。 *1:http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20091029/1256819760

錦帯橋まわりの桜

いろいろ草木はあるにしても、桜の時期はそれ一色になって、それが川や橋や山と絡まってどういう景色をつくるか。 公園や城山を背景に含むなら対岸からか橋の上か。橋を含む景色なら公園の側から桜を手前に入れるか、対岸から川全体を見渡すか、別の橋から橋…

吉香公園の植物

案内図では菖蒲や桜のまとまりのある場所も絵で示されている。季節によるけれど、その場所の彩りの目安。 公園内の樹木については、説明板が土地の履歴とともに樹種を示してある。城の屋敷だった一帯が近代には学校用地となっていたことから、古い木や教材用…

案内図上の木

槍倒し松の隣には「巌流ゆかりの柳」があり、囲いと説明板と標示杭で目立たせてある。 吉香公園を中心とした案内図にも二本の木は載っていて、それぞれの特徴をあらわした絵が記号のようになる。一般の松と柳をあらわす絵にも使えないこともない。

槍倒し松

錦帯橋のたもと、吉香公園側で河川敷に下りる階段に「槍倒し松」が枝を広げている。前項のような、通行のじゃまにならない向きに凭れるのではなく、あえて道を覆っているという意味付け。 説明板に「こかし」の振り仮名がつく。

出迎えの松跡

安芸区中野の瀬野川沿いにある「中野砂走りの出迎えの松」は、西国街道の松並木の名残。市指定の「史跡」なので、木があっても「跡」。説明板の写真は昭和6年の水田風景。 河川敷脇の水路と車道に挟まれた、堤防上の細い土地に並ぶ松。 枝が横へ凭れるとする…

碑文を飾る松

広島市水道資料館の正面には児玉源太郎と伊藤博文の揮毫が並ぶ。*1 説明板に載る戦前のポンプ室の写真にはまだこれらの石額は無くて、細い木が左右にあるだけ。 とくに高い台座に載るでもなく、横長の額に刻まれた「不舎晝夜」はそれだけでは異様な位置にな…

蟠龍の松

同じく尾道市、浄土宗光明寺の注連柱は「紀元二千五百九十八年」に立てられている。 その傍らの壁に囲まれた細長い庭には「蟠龍の松」が枝を広げる。わだかまる竜、という見立てになる枝の低さと幹のうねり。

凭れる枝

鷲の松を取り巻く竹垣の内にも外にも枝は広がり、所々で細い石柱が支え、その中をくぐり抜ける敷石の道。 道の脇にある石だけでも「明治四十五年」「大正十年」「昭和十一年」の複数の年が見える。「皇紀貳千六百年」もある。

福善寺の鷲の松

山門の先にも壁は連なる。松の枝の茂る段には、壁を背にして立て札が置かれているのも見える。 立て札は尾道三松の一つ「鷲の松」のもの。四方八方に枝を広げて石柱で支えられる特異な姿から、観光案内や旅行者の言及も多い。 尾道市教育委員会 文化振興課│…

坂と階段の壁

そこから見上げる福善寺は山門がよく見える。 麓から山門へと上がる参道は階段と坂の組み合わせでゆるい勾配。 両側の壁は笠が黒で内側が黄に白線五本。外から見るととくに塗装は無し。階段では個々のブロックの線が斜めの線になる。

瓦と土壁

尾道市長江の荒神社は福善寺の麓の小さなお社。町中では木と土の茶色が目立つ。 路地との境は厚い土壁で、上は瓦とセメントが覆い、断面からも瓦が塗り込められているのが見える。 短い参道も瓦が敷き詰められている。黒の配置が上や下に散らばっている印象。

「墻」

参道の左右で境内と外を区切る壁に「土墻再建」の石柱がくっついている。 安政5年(戊午)とある。土の垣根がそれ以前と以後にあったことの流れから、現在の壁につながっているのだなと。社殿の立つ上の段では、木の柵や石の垣が取り巻いている。

石壇脇の傾斜

尾道の艮神社参道にて、石碑前面の窪みに「石壇」とあるが、その下はセメントを被ったのか削られたのか、文字は見えない。 その石段は、下に手水舎あり上に注連柱・百度石ありの、境内二つ目の入口となる位置。 階段脇の斜面には観光案内の二次元コードが取…

奉納の壇

「大正八年」の「石壇」奉納も、階段下の「文政四辛巳三月」「奉造立石壇」の碑も、「壇」の字が使われる。傾斜のある山道を、平らな面の繰り返しに整えれば「壇」で、石で舗装すれば「石壇」か。

土中の台石

音戸町引地の八幡宮には、拝殿前の参道脇に狛犬・石燈籠・石燈籠という順で対になって並んでいる。 並んでいる中で比べると狛犬の高さが妙に低い。 どうも一番下の台座の石が一部土に埋もれている分低くなっている様子。高さは極端には変わらないだろうけれ…