環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

橋の手前のヤマモモ

同じく「広島あさひライオンズクラブ」寄贈の植樹がひまわり大橋の北詰にある。海田市駅南口に通じる道ではあるけれど、向かいの歩道ほど人通りは多くない。 「1996年10月吉日」、二年前に安芸ニューライオンズクラブから改称しており、15周年にあたる。 碑…

奥海田の植物

瀬野川堤防の石原公園に平成17年3月に植樹されたシダレザクラ。一本植えられるときはソメイヨシノ以外が選ばれると思ってよいだろうか。 「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」で「物産」を報告する際の雛形は次の通り。 一 物産 何によらす其土地に生る物書出し可…

桜木の現在

楠の傍にある桜木天満宮。瀬野川沿いに植えられたソメイヨシノと「桜木」の地名はつながりはないのだろうけれど、周囲の地名「石原」「砂走」といった川沿いの平坦地の情景の中では目印として残りやすい言葉。

石造物一式

桜木の天満宮の境内(遊歩道でもあり)には鳥居・手水鉢・狛犬といった石造物が一揃いあって川下の方に入口を向けている。 文政期の書出帳に「御殿 鳥居」と書かれているので、現在の「安政四年」の石鳥居よりも前から鳥居があったらしい。他の石造物はどうだ…

桜木の天神

新町の荒神と胡子は現在の瀬野川とは離れているけれど、 川を遡ると点々と神社が残っている。 奥海田村の下調べ書出帳にも多数の「小祠」が載っていて、地名「桜木」に「天神宮」がある。現在は堤防上の遊歩道と一体化している「桜木天満宮」。

新町の荒神社と胡子神社

その案内図では8の番号がふられているのが新町の荒神社と胡神社。 今では駅の北の市街地のどまんなかだが、昔の地形では街道脇の河川敷。 荒神社は案内図では「1873年(明治6年)瀬野川の瀬替えに伴い勧請されたと思われます」と書かれ、現地の説明文では大…

旧地形と今の案内

海田市駅から北へ区画二つほど先に並行するのが旧西国街道。 駅北口にも、街道にさしかかる手前にも史跡案内図が設置されている。 史跡解説に加えて、駅北口一帯がかつて瀬野川旧河道だったことを地図上にしめしつつ、実際に歩いて巡る人に対してのトイレや…

駅にある案内図の向き

同様の案内図は海田町内各地に設置されていて、前項の位置は道路に平行して歩道の奥にある。 海田市駅の北口にもあり、階段の踊り場に置かれたその角度は線路の向きと垂直に交わる。

現在地の向き

前項のように、平たくて横長の看板を案内図上に表現すると細い線になる。 そこまで横長でない看板でも、横線で表せば看板の設置方向が分かってそれを見ている人の向いている方角も決まる。 三角矢印がさらに方向を強調する。

複数の団地

新井口駅の北の山の造成地は多くの住宅団地の集合体。 一つの看板が扱う賃貸住宅だけでも「鈴が峰」を冠するいくつもの団地を載せている。 看板の設置場所はやはり駅や宮島街道から来る人が最初に目にすることになる位置にある。

現在地から矢印の先

新井口駅の南、アルパークの北棟の駐輪場は東西の二ヶ所あり、 駅前に近い方が早く埋まってしまうのだろう、案内図がそこから東側の駐輪場への道を矢印で誘導している。

現在地は矢印の先

結局一番目立つ色は赤。駅の近くに赤く塗られた区域があると駐輪禁止かと思ったりするが、 この看板では駅の南北に設けられた駐輪場*1への誘導のための赤。よほど路上の駐輪が多かったのかと想像する。 隣の街区に「現在地」と書かれるが、矢印が駐輪場の角…

アルパークのバス乗り場

西区のアルパーク。バス乗り場のターミナルには1から6までの番号がふられていて、2・3・4・6に路線バスの乗り場が割り当てられている。 路線ごとに色分けされている。赤青橙の意味合いはともかく、山の上の団地方面に向かう乗り場が緑なのが、なんとなく無難…

駐車場の区分

祇園のイオン、周囲の駐車場も含めた案内図はいろとりどり。 駐車場をブロックごとにアルファベットをつけ、さらに上部の凡例に三色。 「おもいやり」「ゆとり」など、建物に近い位置に設けられた各種の駐車場。水色・黄色・ピンク色と、駐車場全体よりも淡…

三つの建物

いくつもの公共施設は三つの建物に収まる。 文字だけの標識よりは色分けされた地図の方が見やすい。が、走行中に見せるには情報が多すぎる。

県の施設あれこれ

広電本社前電停を降りるとすぐ、西方向にある多数の公共施設へ案内する標識がある。図書館ありスポーツセンターあり健康科学館あり。 複数の建物が隣接していることもあって、看板一枚に6行を費やす。6軒の建物があるわけでもない。 広島市医師会と夜間急病…

旧状の残り

洋風の窓と屋根が電停の雨風をしのぐ。 車道内側に線路があり、外側に車道がある。以前の柵の方が外側に位置し、走る車との距離が保たれる、とも、乗り場がやや狭くなっているとみることも。

広電本社前

その最寄りの停留所は「広電本社前」。 ここの設備も開業100周年に改装され、副駅名「トランヴェール・エクスプレス」と称するようになった。駅名っぽくないので、何を指しての相性なのかよく知らなかった。

スーパーの前

本社ビルの南には系列スーパーのマダムジョイ。 入口前に展示されている路面電車車両はドルトムント市電から移籍して使われていた車両。 国外の車両導入の話があがったのが65周年で、現在地でレストラン車両に使われたのが100周年事業のとき。 展示だけの現…

広電の被災

広電本社ビルの正面にはほかに原爆被災説明板も設置されている。 説明板の名前は「広島電鉄株式会社」。本社建物の被害の説明よりは、変電所の復旧からの一部運行の再開がいち早く実現したことが強調されている。被爆建物としては千田町変電所のほうなので、…

敷石の行方

ひろしま・祈りの石の会によって各国元首へ贈呈された「被爆敷石」は、もと相生橋付近の路面電車軌道に使われていた。 ひろしま・祈りの石の会-石のプロフィール 観音像と「From Hiroshima」の字の浮彫りが「それぞれ受諾国のお国柄に合った展示方法」でモニ…

火と碑と

それを挟むようにモニュメントが並んで合わせて三つ。 NHK広島放送局 | 平和モニュメントのご案内 NHK広島放送局のサイト内の紹介ページも「三つのモニュメント」とまとめて載せている。建立された時期は異なるけれど。 広島放送局職員の慰霊碑がはやくから…

壁のかけら

NHK広島放送局の外、平和大通りに面して設置されている複数のモニュメント。 被爆建物だった広島中央放送局の壁の一部が二つ。金属片が時計の針と化して8時15分。 これもまた被爆当時を伝える記念物ではなく、戦後長く使われてきた建物自体への思い入れを強…

元安川原の瓦

元安川東岸の「原爆犠牲 ヒロシマの碑」はその像のシルエットによって著名。 横長の像をのせる横長の台座には写真と説明文と「原爆がわら」が埋め込まれている。被爆当時の遺跡・遺物そのものというよりは戦後史としての記念碑。 (略) 1977年以降 平和記念…

瓦も痕跡

その被爆地蔵の台座には説明板。被爆直後の境内の写真と瓦の破片がはめ込まれている。 左側面が道路に面しているので、説明も瓦も写真もそちらがわに偏っている。

被爆地蔵尊

爆心地に近い浄土宗西蓮寺。不動尊霊場であるとともに道路脇の「被爆地蔵尊」が有名。見学者と解説者のグループが地蔵を囲む姿は毎日のように。 表面をなでさすられるのが地蔵一般の用途?だとして、被爆の痕跡としての石肌の異状を知るのは、独特の来歴とは…

交通地蔵

幹線道路に面するために安置された地蔵は必ずといっていいほど交通安全を見守る。昔の馬頭観音のよう。 安佐北区の高陽と可部を結ぶ県道の脇、頭上にはニュータウンを結ぶ堂願陸橋*1が跨ぐところにあるのが「交通地蔵」。 行き来する車のうち、自動車学校の…

角地の地蔵

自販機に挟まれていた地蔵は、その土地の工事によって周囲の変化だけでなく、 自販機が無くなった数ヶ月後、その場所からも去ることになった。

国道沿いの石仏環境

安佐南区西原。国道183号は旧54号で南北の幹線道路。 そんな市街地真っ只中で車道に(歩道に)接して佇む石仏が、昔ながらの環境に居続けるのは難しく、プレハブの密閉空間にいる八十八箇所もあれば、 自販機と同じ向きに並ぶ地蔵もあった。

地面が新しい

昔からその場所にあった、またはその近くにあった石仏や石塔でも、それを覆うほこらや地面の舗装が改まると、途端に古くない物*1に変わってしまう。 水田の畦も、車道の路肩も、直線的な土台に置き換わっていて、五輪塔の形だって当初は人工的な直線や曲線だ…