石碑石塔
公園や学校は大抵何かの跡地。 京橋川に架かる工兵橋の南は安田学園。学校と堤防の間に緑地があり、道路から階段を降りてすぐのところに慰霊碑がある。 表に「工兵第五聯隊跡地」とも添えられている。裏には工兵第五聯隊・工兵第三十六聯隊・船舶工兵部隊の…
美術館と文化ホールに挟まれた中央公園には、「西農跡地」の石碑がある。 長らく石碑一本立っていたところに、写真付きの説明板が並ぶようになった。 西条農業高校とその前身の説明があり、「昭和15年頃の校舎とその周辺」の写真がある。 西条駅周辺に密集す…
銅像以外にもいろいろとあるのが各区役所の敷地。 「安佐北区役所開所記念」と刻まれた石碑は目立たないサイズと色でぽつんと立っている。他の区も似たような存在だろう。
岩国市の吉香神社境内もたくさんの木に御籤が括られていて、枝が白く埋めつくされるほどの木もある。 手頃な高さに枝が無ければ、御籤の少ないほっそりした姿になる。 「大正四年御即位記念樹」との碑が松の傍に立つ。 (写真は平成20年)
呉市清水の亀山神社境内でみた松は植樹ではなく「御播種之松」。碑の上部が写せていないが三笠宮殿下か。石碑よりも高く育った松には他の木と同じように御籤が括られる。 参道を挟んで両側に桜など木々が植えられている整然とした光景。 神社のサイトの「亀…
先ほどの大師堂には「御下賜」と書かれた札が掲げられていた。「本尊御供料」として「浩宮徳仁親王殿下」より御下賜のあったのが「昭和五十六年」。 大師堂にほど近い宇賀大明神の前には同年の記念植樹の木と記念碑が並ぶ。
kanototori.hatenablog.jp 相生通りを背にした緑地帯「勝鯉の森」は、カープに関連する記念碑はそのままに、その東側に通路を通したので横長の緑地から断片的な緑地に変わっている。 記念碑群の手前に旧市民球場のベンチを移設しているので、まとまりのある…
広瀬北町の河岸緑地には「特設警備隊 広島西部第二部隊」の慰霊碑がある。 石碑の正面が車道側を向き、背後を遊歩道が通る。 通行止めの区域に慰霊碑は含まれない。
動物園入口交差点から南へ進むと安川が西から東へ。 上安と相田を結ぶ中河原橋のたもとに境界石が残っている。 近世からの上安村と相田村の境を示す。近隣の数か村と合併して「安村」さらに後には「安古市町」となる。
平成29年のフラワーフェスティバルの時の案内図。平和記念公園内の会場の配置を示してある。 慰霊碑と資料館の間に展開するフラワーキャンドルメッセージを中心に紹介するもので、軸線となる原爆ドーム・原爆の子の像・平和の池・原爆死没者慰霊碑・噴水の中…
平和記念公園の西辺、本川に面した緑地には遊歩道が無い。本川橋より北では観光バスの停車位置になっていたりと、東の元安川沿いよりひっそりしている。 本川橋より南には緑地の中で間隔を開けて慰霊碑が建てられている。いずれも本川を背にして車道に正面を…
原爆ドームは柵に囲まれて立ち入り禁止。元安川に面した西側には柵の前に植栽がワンクッション。 南の角、ツツジの切れ目近くに世界遺産原爆ドームの説明板がある。 kanototori.hatenablog.jp その裏手に説明板の位置の案内がある。 電停に近い北側には世界…
工事のため通行止めとなりフェンスに囲まれた一角に被爆遺構の説明板が立っていた。 「中国軍管区司令部・第59軍司令部跡ほか」と題して広島城内堀外周一帯の軍施設をまとめて紹介してある。写真は内堀のほぼ全体が写された被爆後の状況。外堀の外周には三の…
修繕された井戸と木の間に立つ角柱に似た自然石の石碑。 一番大きな字の「御調井」の面が他より低く、一番高い位置から字が始まるのが「明治十九年五月重修」の面。副島種臣の面は比較的控えめ。
万葉の歌よりさらに古い故事に由来する井戸「御調井」は見た目は新しい石と屋根と石碑で固められている。手水鉢は別の場所にある。 神功皇后に水を献上したとの故事を記す黒い石碑は平成19年の物。
背の高い石に万葉仮名を少ない行に彫りつけるのが、なんとなく万葉の歌の碑にふさわしいような印象が付く。 kanototori.hatenablog.jp 倉橋島が万葉の故地を誇るのと似て、三原の糸碕神社にも「長井之浦」を詠んだ歌が多くの歌碑の中にひときわ背の高い角柱…
「連翼亭」の脇にある歌碑はあまり高くない目立たない石。 「布引三十六歌碑」の一つ。 作者西園寺実氏と歌の解説が歌碑の隣に並ぶという形式で「歌碑のみち」が整備されている。 神戸市中央区:布引三十六歌碑「呉竹の夜の間に雨の洗ひほして 朝日に晒す布…
maps.gsi.go.jp 先ほどの参道入り口看板の道から西寄りにも阿弥陀坂への入口があり、同じ看板も立っている。 その道の角には小さな道しるべが立っている。「右福王寺道」とある面が正面に来る。側面には「左南原三次◻︎?道」という字がうっすら。大畑(亀山)…
kanototori.hatenablog.jp 福王寺山の参道は南の不動坂と観音坂、東の大師坂、北阿弥陀坂がある。あと自動車道も。 車道からの分岐点に「福王寺参道登り口」の石柱がある。舗装された道はもう少し続く。 後に看板も追加されて強調されている。「本堂まで3k」…
広島城本丸上段の南東隅、「桜の池」跡は近代の遺構。 広報紙「しろうや!広島城」 | 広島城 広報誌の第26号で「本丸の隅っこの穴ぼこは何?」に紹介されている。 その周りの木々の一つに真っ直ぐ伸びた松がある。 「記念樹」の石碑の裏に、電電公社が昭和45…
広島城跡の場合も、本丸・二ノ丸・三ノ丸全体にわたって陸軍の施設が置かれた。司令部・練兵場・幼年学校・軍馬や砲弾の倉庫もあり、太田川堤防沿いには陸軍病院。 kanototori.hatenablog.jp その陸軍病院跡にある地図は「第二次世界大戦時 軍用施設配置図 …
大阪城公園駅の周囲一帯はもと大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)で、昭和27年以降公園整備が進む。 「砲兵工廠跡」の石碑は大阪城ホール近くにあり、「大阪城ホール」「水上バス乗り場」「OBP」「JR大阪城公園駅」への案内表示が立つところにある。本丸から歩…
広島東照宮の表の通りを西に少し、二葉あき子歌碑が緑地の中に立つ。 表の面の歌詞は縦書きで『夜のプラットホーム』。 裏は協賛者の芳名のプレート。横書きで名前が連なり、左に企業・団体名、右に個人名が並ぶ。近隣の寺社では東照宮以外の名が見える。
竹原市の下賀茂神社にある芳名板は文字の小ささと地の色の暗さとで読み取りにくくなっていた(平成20年現在)。 神社再建にあたっての「高額寄付者芳名」が連なっているが、遠目にはっきり見えるのはその隣の石柱で、100万から250万円を寄付した名前が13本。…
広島護国神社の場合、社殿建設の奉賛者芳名には広島市とその近郊の企業名が連なる。 企業名と個人名が大半の中、団体名には遺族会と軍恩連盟があるのみ。
二基並ぶ石碑は「旌忠碑」と「高木老儒之碑」。前者は西南戦争における広島鎮台の戦死者の慰霊碑。後者は明治12年に亡くなった漢学者高木忠次郎の顕彰碑。 建立は旌忠碑の方が早いが、現在地に復元されたのは平成29年と最近のこと。黒いフレームの説明板も両…
遷座した厳島神社には注連柱も移されている。 kanototori.hatenablog.jp kanototori.hatenablog.jp 15年前にこれを載せた時は、 「神徳巍々聳千秋」「皇澤洋々洽八洲」の対句の平仄を見てみたりしたものの、ほかの注連柱のよく見る語句でも同じように見てみ…
kanototori.hatenablog.jp 三次市で平成18年に見かけた「双三郡原村役場跡」の記念碑は、上の記事にて触れていた。 その場所が現在どう変わったか。Google mapで周囲を見渡すと、民家が増えているもののこの記念碑のある角地は小さな草むらのまま。近くの神…
アステールプラザの東に進むと元安川。架かる橋は万代橋。 橋の右岸下流側には「被曝市長公舎跡)の石碑が説明板とともに立つ。平成7年建立。 堤防緑地の川岸近く、川にせり出した木の根元に立っているので、通り過ぎる歩行者を妨げない。
アステールプラザの本川岸の緑地に立つ白いモニュメント。 遠目には文学碑とは見えなさそうで、刻まれていることばは「花不語」。梶山季之ゆかりの地ということで平成3年建立。