環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

石碑石塔

西から見た道しるべ

maps.gsi.go.jp 先ほどの参道入り口看板の道から西寄りにも阿弥陀坂への入口があり、同じ看板も立っている。 その道の角には小さな道しるべが立っている。「右福王寺道」とある面が正面に来る。側面には「左南原三次◻︎?道」という字がうっすら。大畑(亀山)…

阿弥陀坂

kanototori.hatenablog.jp 福王寺山の参道は南の不動坂と観音坂、東の大師坂、北阿弥陀坂がある。あと自動車道も。 車道からの分岐点に「福王寺参道登り口」の石柱がある。舗装された道はもう少し続く。 後に看板も追加されて強調されている。「本堂まで3k」…

桜の池の松

広島城本丸上段の南東隅、「桜の池」跡は近代の遺構。 広報紙「しろうや!広島城」 | 広島城 広報誌の第26号で「本丸の隅っこの穴ぼこは何?」に紹介されている。 その周りの木々の一つに真っ直ぐ伸びた松がある。 「記念樹」の石碑の裏に、電電公社が昭和45…

城跡の陸軍病院

広島城跡の場合も、本丸・二ノ丸・三ノ丸全体にわたって陸軍の施設が置かれた。司令部・練兵場・幼年学校・軍馬や砲弾の倉庫もあり、太田川堤防沿いには陸軍病院。 kanototori.hatenablog.jp その陸軍病院跡にある地図は「第二次世界大戦時 軍用施設配置図 …

工廠跡の公園

大阪城公園駅の周囲一帯はもと大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)で、昭和27年以降公園整備が進む。 「砲兵工廠跡」の石碑は大阪城ホール近くにあり、「大阪城ホール」「水上バス乗り場」「OBP」「JR大阪城公園駅」への案内表示が立つところにある。本丸から歩…

背面は横書き

広島東照宮の表の通りを西に少し、二葉あき子歌碑が緑地の中に立つ。 表の面の歌詞は縦書きで『夜のプラットホーム』。 裏は協賛者の芳名のプレート。横書きで名前が連なり、左に企業・団体名、右に個人名が並ぶ。近隣の寺社では東照宮以外の名が見える。

玉垣の隣の芳名

竹原市の下賀茂神社にある芳名板は文字の小ささと地の色の暗さとで読み取りにくくなっていた(平成20年現在)。 神社再建にあたっての「高額寄付者芳名」が連なっているが、遠目にはっきり見えるのはその隣の石柱で、100万から250万円を寄付した名前が13本。…

黒地に白の芳名碑

広島護国神社の場合、社殿建設の奉賛者芳名には広島市とその近郊の企業名が連なる。 企業名と個人名が大半の中、団体名には遺族会と軍恩連盟があるのみ。

台座の手前に説明板

二基並ぶ石碑は「旌忠碑」と「高木老儒之碑」。前者は西南戦争における広島鎮台の戦死者の慰霊碑。後者は明治12年に亡くなった漢学者高木忠次郎の顕彰碑。 建立は旌忠碑の方が早いが、現在地に復元されたのは平成29年と最近のこと。黒いフレームの説明板も両…

神社の入口脇

遷座した厳島神社には注連柱も移されている。 kanototori.hatenablog.jp kanototori.hatenablog.jp 15年前にこれを載せた時は、 「神徳巍々聳千秋」「皇澤洋々洽八洲」の対句の平仄を見てみたりしたものの、ほかの注連柱のよく見る語句でも同じように見てみ…

堤防下の角地

kanototori.hatenablog.jp 三次市で平成18年に見かけた「双三郡原村役場跡」の記念碑は、上の記事にて触れていた。 その場所が現在どう変わったか。Google mapで周囲を見渡すと、民家が増えているもののこの記念碑のある角地は小さな草むらのまま。近くの神…

万代橋を望む碑

アステールプラザの東に進むと元安川。架かる橋は万代橋。 橋の右岸下流側には「被曝市長公舎跡)の石碑が説明板とともに立つ。平成7年建立。 堤防緑地の川岸近く、川にせり出した木の根元に立っているので、通り過ぎる歩行者を妨げない。

花不語

アステールプラザの本川岸の緑地に立つ白いモニュメント。 遠目には文学碑とは見えなさそうで、刻まれていることばは「花不語」。梶山季之ゆかりの地ということで平成3年建立。

三つの歌碑

さらに同地には中村憲吉歌碑が三基並び立っている。 色も形も書風もとりどりに、刻まれた歌は鞆・お茶の水・布野と時と場所を異にする。

終焉の地の文学碑

文学碑が建つゆかりの場所には、その作家が亡くなった場所が含まれやすい。 墓と違って基本的に一ヶ所。その地で物した作品があればそれが文学碑となって往時を偲ぶ。 尾道の千光寺山中腹には中村憲吉終焉の地があって「文学のこみち」の一部をなす。 見上げ…

れんがどおりの角

こちらは同じくれんが通り、だけど通りかかったのは平成21年。 歩道の角に立つ「れんがどおり」の碑と、その傍に止められがちな自転車は今も昔も変わらなそうだけれど、「定額給付金 プレミアム商品券」は平成後期(震災前)っぽさを醸し出す。

庭園の壁の外

中央公園はサッカースタジアム建設とそれに先立つ発掘調査のため立入禁止。公園西側の車道も塞がれ、西端の中国庭園「渝華園」も入れない。 本川堤防緑地は通れる。道ゆく人が工事の様子を眺める時、鳥のモニュメントの手前に囲われた防音壁がまず目に入る。…

小倉山城跡の史跡指定

kanototori.hatenablog.jp 吉川氏の史跡「小倉山城跡」は散策の為の表示が整備されている。 入口の大きな史跡名表示は平成16年3月の設置。史跡指定自体は昭和61年8月でずいぶん年数が経っているが、その後の平成9年9月に追加指定がなされている。今のような…

空鞘橋の傍らの碑

「空鞘橋架設期成同盟」の近隣町内会による石碑が空鞘橋西詰にある。 橋の欄干や親柱はとくに凝った風でなく、歩道の往来を妨げないくらいの簡素さ。 石碑は堤防上の植栽の中にあって、視界を遮るほどの高さもない。碑文の面も字も小さくて目立たない。 当時…

人とモノの顕彰

南区の「英橋」の記念碑は、その場所が仁保島村の入江だった頃に架けられた橋の記念碑であり、 その最初の架橋に資材を投じた「英修作」氏を顕彰する記念碑でもある。 橋そのものは昭和26年には広島市による架け替えがあったが、埋め立てにより橋の役目が終…

光明寺の碑

船山城主の山中氏は三入荘の熊谷氏に敗れた。ということの詳細はどうであれ陰徳太平記によって有名。 船山城跡そのものに山中氏の顕彰や慰霊を明示する物は無いけれど、東の方角にあったみのり山光明寺に「新原心円顕彰碑」が関わりを示す。安佐北区図書館と…

北口ロータリーの隅

kanototori.hatenablog.jp 現在の姿に整備される前の駅北口にも、今川了俊の歌碑があった。 所狭しと佇んでいた石碑が現在では、広々とした駅前ロータリーの隅で近くからも遠くからも眺めやすくなっている。

道しるべが示す二方向

さらに踏切の目の前の三叉路。植え込みの中に立つ石の道しるべ。 左手、桜並木の坂に向けた矢印は「三瀧観音みち」を示し、右手、三滝駅沿いの道から丘の上に向かう道には「聖ヶ丘 親鸞聖人尊像道」を示す。現在は親鸞像は無く台座のみなのでこの道しるべは…

墓地の外の碑

三滝観音参道が車線中央を渓流で分たれる坂道。 その道の傍にひっそりと立つ記念碑は「藤原仁顕彰碑」。敗戦を受けて自決した大東塾の14人のうちの一人、比婆郡出身の藤原仁。昭和41年の影山正治の碑文と、平成7年の50年祭で共同遺書の碑が加わっている。

小次郎の傍ら

同じく錦川の岸、錦帯橋から5分の距離に佐々木小次郎像があり、その傍らに立つ「錦帯橋」歌碑にも楽譜が刻まれている。 鵜飼音頭の配置とは異なり、楽譜は全体を見せず、歌詞の2番が楽譜に重なるように中央にある。

鵜飼の楽譜

錦帯橋を渡った先の堤防上、記念碑や銅像が林立する中に、「岩国鵜飼音頭」の記念碑がある。 右に楽譜、左に歌詞がある。五線譜の間隔が広いのは、歌詞の最初の合いの手が重なるので2行使っているため。

「和」の一字

同じく岩国駅前、といっても見かけたのは平成20年なので、現状とはかなり違うのかもしれない。 昭和20年8月14日の空襲の慰霊碑として、50年後の平成7年に建てられている。

転々と記念碑

岩国駅西口ロータリーにある平和記念碑は8月14日の空襲の慰霊のためのモニュメント。 街路樹を背にして駅舎の方を向いた像(乙女の像)が手を合わせている。 bkss.co.jp駅前広場の再開発によって現在地に移ったもので、移転の変遷も台座に表示されている。

被爆鳥居の脚元

広島護国神社の鳥居は、広島城本丸にある社殿正面の一基と、広島城跡東側入口(RCC中国放送南)の一基とがある。 城跡内に入る車は必ず(?)潜ることになるのが東側入口の鳥居で、護国神社が旧地にあった時には爆心地から330mの近距離に立っていた。 「広島…

駅の周りの市長の揮毫

kanototori.hatenablog.jp 隆景広場の名を刻んだ石碑は当時の溝手市長の揮毫。 同じ市長の揮毫による「三原連続立体交差事業完成記念」の碑は南口の東寄りにある。横書きのこちらの方が安定して見える。