環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

石碑石塔

中河原橋北詰

動物園入口交差点から南へ進むと安川が西から東へ。 上安と相田を結ぶ中河原橋のたもとに境界石が残っている。 近世からの上安村と相田村の境を示す。近隣の数か村と合併して「安村」さらに後には「安古市町」となる。

平和記念公園の圧縮

平成29年のフラワーフェスティバルの時の案内図。平和記念公園内の会場の配置を示してある。 慰霊碑と資料館の間に展開するフラワーキャンドルメッセージを中心に紹介するもので、軸線となる原爆ドーム・原爆の子の像・平和の池・原爆死没者慰霊碑・噴水の中…

車道の向こうの慰霊碑

平和記念公園の西辺、本川に面した緑地には遊歩道が無い。本川橋より北では観光バスの停車位置になっていたりと、東の元安川沿いよりひっそりしている。 本川橋より南には緑地の中で間隔を開けて慰霊碑が建てられている。いずれも本川を背にして車道に正面を…

原爆ドームの北と南

原爆ドームは柵に囲まれて立ち入り禁止。元安川に面した西側には柵の前に植栽がワンクッション。 南の角、ツツジの切れ目近くに世界遺産原爆ドームの説明板がある。 kanototori.hatenablog.jp その裏手に説明板の位置の案内がある。 電停に近い北側には世界…

内堀外周

工事のため通行止めとなりフェンスに囲まれた一角に被爆遺構の説明板が立っていた。 「中国軍管区司令部・第59軍司令部跡ほか」と題して広島城内堀外周一帯の軍施設をまとめて紹介してある。写真は内堀のほぼ全体が写された被爆後の状況。外堀の外周には三の…

明治の御調井の碑

修繕された井戸と木の間に立つ角柱に似た自然石の石碑。 一番大きな字の「御調井」の面が他より低く、一番高い位置から字が始まるのが「明治十九年五月重修」の面。副島種臣の面は比較的控えめ。

御調井と碑

万葉の歌よりさらに古い故事に由来する井戸「御調井」は見た目は新しい石と屋根と石碑で固められている。手水鉢は別の場所にある。 神功皇后に水を献上したとの故事を記す黒い石碑は平成19年の物。

背の高い万葉歌碑

背の高い石に万葉仮名を少ない行に彫りつけるのが、なんとなく万葉の歌の碑にふさわしいような印象が付く。 kanototori.hatenablog.jp 倉橋島が万葉の故地を誇るのと似て、三原の糸碕神社にも「長井之浦」を詠んだ歌が多くの歌碑の中にひときわ背の高い角柱…

東屋の脇の歌碑

「連翼亭」の脇にある歌碑はあまり高くない目立たない石。 「布引三十六歌碑」の一つ。 作者西園寺実氏と歌の解説が歌碑の隣に並ぶという形式で「歌碑のみち」が整備されている。 神戸市中央区:布引三十六歌碑「呉竹の夜の間に雨の洗ひほして 朝日に晒す布…

西から見た道しるべ

maps.gsi.go.jp 先ほどの参道入り口看板の道から西寄りにも阿弥陀坂への入口があり、同じ看板も立っている。 その道の角には小さな道しるべが立っている。「右福王寺道」とある面が正面に来る。側面には「左南原三次◻︎?道」という字がうっすら。大畑(亀山)…

阿弥陀坂

kanototori.hatenablog.jp 福王寺山の参道は南の不動坂と観音坂、東の大師坂、北阿弥陀坂がある。あと自動車道も。 車道からの分岐点に「福王寺参道登り口」の石柱がある。舗装された道はもう少し続く。 後に看板も追加されて強調されている。「本堂まで3k」…

桜の池の松

広島城本丸上段の南東隅、「桜の池」跡は近代の遺構。 広報紙「しろうや!広島城」 | 広島城 広報誌の第26号で「本丸の隅っこの穴ぼこは何?」に紹介されている。 その周りの木々の一つに真っ直ぐ伸びた松がある。 「記念樹」の石碑の裏に、電電公社が昭和45…

城跡の陸軍病院

広島城跡の場合も、本丸・二ノ丸・三ノ丸全体にわたって陸軍の施設が置かれた。司令部・練兵場・幼年学校・軍馬や砲弾の倉庫もあり、太田川堤防沿いには陸軍病院。 kanototori.hatenablog.jp その陸軍病院跡にある地図は「第二次世界大戦時 軍用施設配置図 …

工廠跡の公園

大阪城公園駅の周囲一帯はもと大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)で、昭和27年以降公園整備が進む。 「砲兵工廠跡」の石碑は大阪城ホール近くにあり、「大阪城ホール」「水上バス乗り場」「OBP」「JR大阪城公園駅」への案内表示が立つところにある。本丸から歩…

背面は横書き

広島東照宮の表の通りを西に少し、二葉あき子歌碑が緑地の中に立つ。 表の面の歌詞は縦書きで『夜のプラットホーム』。 裏は協賛者の芳名のプレート。横書きで名前が連なり、左に企業・団体名、右に個人名が並ぶ。近隣の寺社では東照宮以外の名が見える。

玉垣の隣の芳名

竹原市の下賀茂神社にある芳名板は文字の小ささと地の色の暗さとで読み取りにくくなっていた(平成20年現在)。 神社再建にあたっての「高額寄付者芳名」が連なっているが、遠目にはっきり見えるのはその隣の石柱で、100万から250万円を寄付した名前が13本。…

黒地に白の芳名碑

広島護国神社の場合、社殿建設の奉賛者芳名には広島市とその近郊の企業名が連なる。 企業名と個人名が大半の中、団体名には遺族会と軍恩連盟があるのみ。

台座の手前に説明板

二基並ぶ石碑は「旌忠碑」と「高木老儒之碑」。前者は西南戦争における広島鎮台の戦死者の慰霊碑。後者は明治12年に亡くなった漢学者高木忠次郎の顕彰碑。 建立は旌忠碑の方が早いが、現在地に復元されたのは平成29年と最近のこと。黒いフレームの説明板も両…

神社の入口脇

遷座した厳島神社には注連柱も移されている。 kanototori.hatenablog.jp kanototori.hatenablog.jp 15年前にこれを載せた時は、 「神徳巍々聳千秋」「皇澤洋々洽八洲」の対句の平仄を見てみたりしたものの、ほかの注連柱のよく見る語句でも同じように見てみ…

堤防下の角地

kanototori.hatenablog.jp 三次市で平成18年に見かけた「双三郡原村役場跡」の記念碑は、上の記事にて触れていた。 その場所が現在どう変わったか。Google mapで周囲を見渡すと、民家が増えているもののこの記念碑のある角地は小さな草むらのまま。近くの神…

万代橋を望む碑

アステールプラザの東に進むと元安川。架かる橋は万代橋。 橋の右岸下流側には「被曝市長公舎跡)の石碑が説明板とともに立つ。平成7年建立。 堤防緑地の川岸近く、川にせり出した木の根元に立っているので、通り過ぎる歩行者を妨げない。

花不語

アステールプラザの本川岸の緑地に立つ白いモニュメント。 遠目には文学碑とは見えなさそうで、刻まれていることばは「花不語」。梶山季之ゆかりの地ということで平成3年建立。

三つの歌碑

さらに同地には中村憲吉歌碑が三基並び立っている。 色も形も書風もとりどりに、刻まれた歌は鞆・お茶の水・布野と時と場所を異にする。

終焉の地の文学碑

文学碑が建つゆかりの場所には、その作家が亡くなった場所が含まれやすい。 墓と違って基本的に一ヶ所。その地で物した作品があればそれが文学碑となって往時を偲ぶ。 尾道の千光寺山中腹には中村憲吉終焉の地があって「文学のこみち」の一部をなす。 見上げ…

れんがどおりの角

こちらは同じくれんが通り、だけど通りかかったのは平成21年。 歩道の角に立つ「れんがどおり」の碑と、その傍に止められがちな自転車は今も昔も変わらなそうだけれど、「定額給付金 プレミアム商品券」は平成後期(震災前)っぽさを醸し出す。

庭園の壁の外

中央公園はサッカースタジアム建設とそれに先立つ発掘調査のため立入禁止。公園西側の車道も塞がれ、西端の中国庭園「渝華園」も入れない。 本川堤防緑地は通れる。道ゆく人が工事の様子を眺める時、鳥のモニュメントの手前に囲われた防音壁がまず目に入る。…

小倉山城跡の史跡指定

kanototori.hatenablog.jp 吉川氏の史跡「小倉山城跡」は散策の為の表示が整備されている。 入口の大きな史跡名表示は平成16年3月の設置。史跡指定自体は昭和61年8月でずいぶん年数が経っているが、その後の平成9年9月に追加指定がなされている。今のような…

空鞘橋の傍らの碑

「空鞘橋架設期成同盟」の近隣町内会による石碑が空鞘橋西詰にある。 橋の欄干や親柱はとくに凝った風でなく、歩道の往来を妨げないくらいの簡素さ。 石碑は堤防上の植栽の中にあって、視界を遮るほどの高さもない。碑文の面も字も小さくて目立たない。 当時…

人とモノの顕彰

南区の「英橋」の記念碑は、その場所が仁保島村の入江だった頃に架けられた橋の記念碑であり、 その最初の架橋に資材を投じた「英修作」氏を顕彰する記念碑でもある。 橋そのものは昭和26年には広島市による架け替えがあったが、埋め立てにより橋の役目が終…

光明寺の碑

船山城主の山中氏は三入荘の熊谷氏に敗れた。ということの詳細はどうであれ陰徳太平記によって有名。 船山城跡そのものに山中氏の顕彰や慰霊を明示する物は無いけれど、東の方角にあったみのり山光明寺に「新原心円顕彰碑」が関わりを示す。安佐北区図書館と…