環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

石碑石塔

説明板諸相:庭園の構成

その日本庭園はいくつか出入口があり、南側の出入口で説明板を載せた石が出迎える。ここが正面入口ということだろうか。 「厳島神社の回廊をイメージした舞台と 四阿」がサンプラザ玄関側の出入口に近く、池を挟んで林が広がる。 「園内はモミジなどの林に覆…

中央公園案内図と桜

中央図書館北の緑地を東に向かうと横断歩道のある交差点。 中央公園案内図の石碑を桜の枝が覆う。写真は平成18年で、石碑も桜も現在の配置と変わらないとはいえ、さすがに桜の樹勢は変わっているかもしれない。そんなつもりで今年の咲き方を見るのがいいかと…

記念碑の移設

渝華園の移設のため囲いに取り巻かれた緑地には二基のの記念碑があった。 中央図書館北口に面していた地球とハトが、少し車道寄りの緑地に移されている。

堀端の並木

広島城の内堀は多くの木に囲まれている。 天守を内堀越しに望む、祇園新道沿いの遊歩道の桜並木には「創業150周年記念植樹 株式会社 天満屋」の石碑が見える。創業が文政なので昭和の後期に150年。今よりも広島市に天満屋の存在感があった頃。

県住跡の公園

あき亀山駅前に整備された公園のひとつ、亀山南第六公園は太田川堤防の河岸緑地の西の端に接している。 さほど広くない広場に記念碑がひとつ。道路を背にして「荒下県住跡地開発記念碑 広島市荒下土地区画整理事業」と黒い文字。台座は白い。

西広島駅前被爆説明板

西広島駅は駅舎が新しくなった後も駅前の工事が進む。 旧交番近くに「己斐駅」の被爆説明板が置かれていたが、工事が進むにつれて設置場所付近に立ち入れなくなる。 代わりに説明板と同じ内容の写真と文章を通行可能部分に見えるように掲示してあった。立ち…

松の合間に移転記念碑

同じく道路に沿って立つ松の木の合間に「住吉神社移転改築記念」の碑がある。 昭和58年に現在地に移転した際の記念碑で、内側に碑文を向けて外側に宮司と総代の名を連ねる。「神苑を整備して御神徳の発揚を期す」と綴られた移転当時の境内の真新しさを偲ばせ…

松の外に改築記念碑

その由緒書きに載る最も新しい出来事は平成18年11月の本殿改築。 その記念碑は社殿の左手に聳える松の木のたもとにある。外の道路から見える向きに立てられている。

箇条書きで年表

廿日市市の住吉神社は国道2号近くの埋立地を現在地とする。 由緒書きには潮音寺境内から住吉新開へと移ったこと、さらに昭和58年に現在地に移ったことが記され、境内の石彫・神額・建築物のそれぞれの奉納された年が箇条書きされている。 文化7年の石灯籠な…

下関市の100周年

下関市の海峡ゆめ広場にはタイムカプセルの記念碑がある。 平成元年に市制100周年を記念して埋められたタイムカプセルは、「100年後の市民の皆さんに玉手箱を贈ります」と、さらに次の100年の節目に開かれることになる。

大竹市の周年

大竹市役所の緑地には「若人の集い」と題した記念碑がある。 昭和59年に市制30周年を記念しての植樹の記念碑。戦前からある大きな市と比べて若いと感じる数字かもしれない。 https://www.city.otake.hiroshima.jp/soshiki/somu/kikakuzaisei/gyomu/4/1454223…

大竹市の周年

大竹市役所の緑地には「若人の集い」と題した記念碑がある。 昭和59年に市制30周年を記念しての植樹の記念碑。戦前からある大きな市と比べて若いと感じる数字かもしれない。 https://www.city.otake.hiroshima.jp/soshiki/somu/kikakuzaisei/gyomu/4/1454223…

御建公園の大協

西条の御建公園内にあった寄贈の石碑は大協株式会社によるもの。「1984年」なので昭和59年。 石碑のすぐ後ろに植栽があるのでその寄贈のように見えたが、「施工」とあるのでもう少し広い範囲の要素らしい。www.daikyonishikawa.co.jp 大協は現在のダイキョー…

工兵橋のたもと

公園や学校は大抵何かの跡地。 京橋川に架かる工兵橋の南は安田学園。学校と堤防の間に緑地があり、道路から階段を降りてすぐのところに慰霊碑がある。 表に「工兵第五聯隊跡地」とも添えられている。裏には工兵第五聯隊・工兵第三十六聯隊・船舶工兵部隊の…

西農の頃の景観

美術館と文化ホールに挟まれた中央公園には、「西農跡地」の石碑がある。 長らく石碑一本立っていたところに、写真付きの説明板が並ぶようになった。 西条農業高校とその前身の説明があり、「昭和15年頃の校舎とその周辺」の写真がある。 西条駅周辺に密集す…

小さな黒い石碑

銅像以外にもいろいろとあるのが各区役所の敷地。 「安佐北区役所開所記念」と刻まれた石碑は目立たないサイズと色でぽつんと立っている。他の区も似たような存在だろう。

枝の少ない松

岩国市の吉香神社境内もたくさんの木に御籤が括られていて、枝が白く埋めつくされるほどの木もある。 手頃な高さに枝が無ければ、御籤の少ないほっそりした姿になる。 「大正四年御即位記念樹」との碑が松の傍に立つ。 (写真は平成20年)

亀山神社の木々

呉市清水の亀山神社境内でみた松は植樹ではなく「御播種之松」。碑の上部が写せていないが三笠宮殿下か。石碑よりも高く育った松には他の木と同じように御籤が括られる。 参道を挟んで両側に桜など木々が植えられている整然とした光景。 神社のサイトの「亀…

昭和辛酉年の記念

先ほどの大師堂には「御下賜」と書かれた札が掲げられていた。「本尊御供料」として「浩宮徳仁親王殿下」より御下賜のあったのが「昭和五十六年」。 大師堂にほど近い宇賀大明神の前には同年の記念植樹の木と記念碑が並ぶ。

勝鯉の森の前

kanototori.hatenablog.jp 相生通りを背にした緑地帯「勝鯉の森」は、カープに関連する記念碑はそのままに、その東側に通路を通したので横長の緑地から断片的な緑地に変わっている。 記念碑群の手前に旧市民球場のベンチを移設しているので、まとまりのある…

慰霊碑のある遊歩道

広瀬北町の河岸緑地には「特設警備隊 広島西部第二部隊」の慰霊碑がある。 石碑の正面が車道側を向き、背後を遊歩道が通る。 通行止めの区域に慰霊碑は含まれない。

中河原橋北詰

動物園入口交差点から南へ進むと安川が西から東へ。 上安と相田を結ぶ中河原橋のたもとに境界石が残っている。 近世からの上安村と相田村の境を示す。近隣の数か村と合併して「安村」さらに後には「安古市町」となる。

平和記念公園の圧縮

平成29年のフラワーフェスティバルの時の案内図。平和記念公園内の会場の配置を示してある。 慰霊碑と資料館の間に展開するフラワーキャンドルメッセージを中心に紹介するもので、軸線となる原爆ドーム・原爆の子の像・平和の池・原爆死没者慰霊碑・噴水の中…

車道の向こうの慰霊碑

平和記念公園の西辺、本川に面した緑地には遊歩道が無い。本川橋より北では観光バスの停車位置になっていたりと、東の元安川沿いよりひっそりしている。 本川橋より南には緑地の中で間隔を開けて慰霊碑が建てられている。いずれも本川を背にして車道に正面を…

原爆ドームの北と南

原爆ドームは柵に囲まれて立ち入り禁止。元安川に面した西側には柵の前に植栽がワンクッション。 南の角、ツツジの切れ目近くに世界遺産原爆ドームの説明板がある。 kanototori.hatenablog.jp その裏手に説明板の位置の案内がある。 電停に近い北側には世界…

内堀外周

工事のため通行止めとなりフェンスに囲まれた一角に被爆遺構の説明板が立っていた。 「中国軍管区司令部・第59軍司令部跡ほか」と題して広島城内堀外周一帯の軍施設をまとめて紹介してある。写真は内堀のほぼ全体が写された被爆後の状況。外堀の外周には三の…

明治の御調井の碑

修繕された井戸と木の間に立つ角柱に似た自然石の石碑。 一番大きな字の「御調井」の面が他より低く、一番高い位置から字が始まるのが「明治十九年五月重修」の面。副島種臣の面は比較的控えめ。

御調井と碑

万葉の歌よりさらに古い故事に由来する井戸「御調井」は見た目は新しい石と屋根と石碑で固められている。手水鉢は別の場所にある。 神功皇后に水を献上したとの故事を記す黒い石碑は平成19年の物。

背の高い万葉歌碑

背の高い石に万葉仮名を少ない行に彫りつけるのが、なんとなく万葉の歌の碑にふさわしいような印象が付く。 kanototori.hatenablog.jp 倉橋島が万葉の故地を誇るのと似て、三原の糸碕神社にも「長井之浦」を詠んだ歌が多くの歌碑の中にひときわ背の高い角柱…

東屋の脇の歌碑

「連翼亭」の脇にある歌碑はあまり高くない目立たない石。 「布引三十六歌碑」の一つ。 作者西園寺実氏と歌の解説が歌碑の隣に並ぶという形式で「歌碑のみち」が整備されている。 神戸市中央区:布引三十六歌碑「呉竹の夜の間に雨の洗ひほして 朝日に晒す布…