環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

八日市橋

安川(新安川)に架かる「八日市橋」は、西岸が祇園一丁目で、東岸が西原一丁目。 同じ西原一丁目には、国道54号沿いに「西原胡子神社」があり*1、縁起の中で「月ノ八ノ日ヲ市ト定メ」と、胡子が勧請された理由としての市に触れている。 ひろしま昔探検ネッ…

帆立第一踏切

「堀立」の地名は中世まで遡れる。 『陰陽路の歴史と風景』の、 HARP: 中世地域経済の発展と広島湾頭 : "祇園"を中心として には、「佐東郡伊福郷堀立江」が載る仁安元年の文書が紹介され、倉敷地として賑わった名残を示す地名が挙がる。 堀立(現、帆立)・…

武田山橋跡

庁舎前橋跡のさらに南、「武田山橋跡」のあたりで河川敷の緑道が終わる。 案内図の描写もはっきりと青が太くなる。 ここの大字が「南下安*1」なので、『藝藩通志』で南下安村の絵図*2を見てみると、 map:x132.463489y34.436797:hybrid:w450 今のようにまっす…

旧安川緑道

同様に、もと橋のあった各所に石碑が据えられ、昔の情景を示す絵や写真が上面に見える。 土やブロックの遊歩道ではあるけれど、暗渠があるので川のように示されるが、青色の幅は太かったり細かったり。庁舎前橋跡近辺には区役所の出張所があるので、国道の最…

今津橋跡

安神社正面の道(ちょっと狭い)を東へ進むと、旧安川流路の遊歩道と交わる。 安川がこちらを流れていた頃、ここに架かっていた「今津橋」の説明つきの石碑がある。 郵便局前を抜けて国道に出ると「今津」バス停が近い。

恵美須神社と凱旋碑

交差点の南東角には、南面する恵美須社と、西面する凱旋碑があり、凱旋碑隣の空間は駐車場。 境内の「安藝國安佐郡祇園村 安神社境内之圖」での社頭の描写を見ると、「祇園町山陰陽交通道路」(出雲街道)を通る荷馬車の後ろに「恵比須社」があり、現在は無…

交差点の石灯籠

明治の終わりに、出雲街道は県道として整備されて、当時としては幅の広いまっすぐな道が可部の奥の根之谷までのびた。 安神社の正面では、今より東に反っていた道が境内を貫通したことで、境内社の恵美須社や石碑・老松などが道路向かいに変わった。道路を遮…

上祇園バス停

安神社正面を通るのは県道277号「古市広島線」で、「旧道」であり「出雲街道」にあたる。 上祇園のバス停が交差点の北にあるけれども、あまり道幅に余裕がない。 神社正面から東へ向かう道は恵美須社と石灯籠に挟まれている。

上祇園

上祇園停留場は安神社の裏手にあったということで、イオンモールと社叢のあいだの辺りか。 モノを調べるコンピューターの話というサイトの 工作機械を作る-1 によると、三菱の工場*1への鉄道引込線が戦中に敷設されており、map:x132.464905y34.443026:hybrid…

下祇園駅

島式ホームの西隣に工場、東隣の住宅地に向かって駅舎が向く。 駅長さんの書いた駅名(広島鉄道管理局)ものがたり (1977年)を見ると*1、最初の下祇園駅はここより南へ100mほどの位置にあったのを、昭和18年に現在地に新築移転。「上祇園駅」は安神社の裏*2に…

下祇園乗降場

イオンモールの東南隅から踏切に向かう途中にバス停のスペースがある。 下祇園駅最寄りのここと経済大学を結ぶスクールバスがあり、 スクールバス|広島経済大学のページを見ると、他に「大町駅」「興動館」からも大学と往復するバスがある。 周辺の案内図の…

イオン東隣

イオンモールの東隣の道路からは、自動車では入場できない。 小学校や児童館の真正面なので、速度の出にくいようにジグザグの道になっている。

イオン西隣

一昨年はまだ、三菱の工場跡地にイオンモールが建設中で、 西隣の道路も拡幅工事中で今とは異なる雑多な様子。 敷地に沿ってまっすぐのびるこの道が祇園5丁目と6丁目の境となる。「祇園中学校入口」と「祇園5丁目」のバス停が置かれていて、武田山の山裾の五…

安佐郡の町村合併

昭和28年の町村合併促進法の施行から昭和の大合併が始まり、wikipedia:安佐郡の町村は22から7に減少した。後にすべての町が広島市の一部となり安佐郡は消滅する。 町名 合併年月日 広島市への編入年 祇園町 昭和18年11月3日*1 昭和47年 可部町 昭和30年3月31…

安古市(やすふるいち)

明治22年に安川中流域の六ヶ村*1が合併して「安村」ができ、昭和30年に東隣の古市町*2と合併して「安古市町」となった。 国道54号にある「古市小学校前(安古市町)」は小学校*3の目の前にあり、安古市町役場のあった所にも近い。 昭和45年発行の『安古市町…